みなさん、こんにちは。
今日は、勝ったからという訳ではなく、いい試合だったと思う。
アントラーズは、敵ながらいいサッカーをしていたな、と。グランパスも、DF陣のミスが少々目立ったけど、私は合格点をあげたい。
私の試合の善し悪しの基準として、チャンスの「ドキドキ」、ピンチの「ハラハラ」の度合い、というのがある。今日は両方共、同じ位、それも数多くあった。「ドキドキ」した、と思ったらカウンターですぐ「ハラハラ」に転じたり。その逆も。まだ観戦歴は浅いけれど、こういうのはいい試合と呼ぶに相応しいのでは?
日本平の準決勝は、お互いにダレてしまい、お互いに決め手を欠いて点が入らなかった。今回の決勝戦は、お互いに「譲らなかった」から、点が入りにくくなってしまったのでは?
私は2試合で、GK伊藤の大ファンになった。味方の誰か(特にDF)がミスしても、最後伊藤がセーブすれば、救われる…当たり前なんだけどね。「守護神中の守護神!!」みたいな…(変かな?)。「伊藤!!」コールの時には、思わず全身に力が入ってしまった。
無理なのかもしれないけれども…DFがボールをクリアした先に誰かがきちんといれば(もしくはDFが、誰かがいる方向にボールをクリアすれば)、一気に攻守が入れ替わってシュート&ゴール!!…クリアしさえすれば、取り敢えずピンチを脱したってことで拍手は起こるけど、先を読んだ上で効率的にボールを回す「知的なサッカー」観たいなぁ…。
まっ、誰もが名解説者になれるのが「サッカー」なんだろうし、もし私の言った通りにグランパスが試合をすれば、何十点も入っちゃうよね。ハハハ。「言うのは簡単・するのは難し」って感じかな。
私の近くの人が背番号を特定して「さっきから危ないから消えてくれ」みたいなことを言っていた。私もその時はお粗末だと感じた(伊藤に助けられた)。ただ『OGU面冠者』では、選手を特定した上で「下手糞!!」と非難することは極力避ける方針なので、そういうのが読みたい方は、他のホームページか、NIFTY−Serveのフォーラムへ。
…私は、OGUに1点取って欲しかった。コンディションは万全ではなかったかもしれない。でも出場したのだから、決めて欲しかった。
ゴールだけが、OGUがよりOGUになれる起爆剤だとは決して思わない。でも「点を取らないと認めない!!」という人達を閉口させるには、ゴールが一番手っ取り早い近道であろう。
あれは、惜しかった。あれが入っていれば、決勝戦のヒーローはピクシーではなく、OGUだった。「国立だから決めました」なんてキザな台詞、聞きたかった…。
後半、途中交代…悔しかった。「国立でダメだった」…また、反OGU派が勢いづいてしまう。
OGU自身は、慣れているはず。でも私にとっては、不快だ。チームの応援の仕方として、ダメな選手を批判することで「頑張れ」と励ますのはとても良い。問題は、ダメな選手を邪魔者扱いして、彼を「排除」することこそチームのため、というヤツ。
プロの世界は厳しい。常に競争状態。最近は特に「首ハネ」が容赦なく行われる傾向にある。でも「排除」するしないは、我々のテリトリーではない!!
例え話(架空)をひとつ…ある理由で、某選手のファンになった。しかし彼は常にベストプレーをする訳ではない。むしろ下手糞で、専らサテライト生活。来年もプロでいられるかどうか、非常に微妙。でも、彼が必死でボールを追いかける姿を見るためだけに、サテライトの試合観戦を続けている。それは、彼が好きだから…。
理論派は、「上手下手」「長所短所」「チームに要不要」で話をしたがる。でも、「上手いから好き」とは限らないのが「ファン」なのだ。極端、「下手でも好き」「ダメでも好き」なのだ。
「排除」の槍玉に挙げられた選手を応援しているファンが傷ついていることを、理論派は全く気付いていない。同じチームを応援する「仲間」であるにもかかわらず、全く悲しいことだ。
私はOGUファンだ。今年7月20日の復帰以後、23試合で3点しか取っていないFWだ。点取り屋として「情けない」「失格」と言われている。それでも、私はOGUが好きだ。何が悪い!!
もうぼちぼち、復活していい。実力、出し惜しみしなくていい。私は、待っている。OGUの真の笑顔を…。
以下、引用元:東京中日スポーツ(1996.11.21)