OGU面冠者 -Expert
1999.12.31 小倉隆史選手 応援HOMEPAGE 冠者121

契約と制約

1999.12.31 Fly high
この浜崎あゆみの曲...まさに小倉隆史!のことを書いてるような。
「ないものねだり(=場所と責任)をいつまで...」「ここ(=名古屋)に夢は置いていけない」...
2月にまた30万枚限定でマキシ出すようです。発売中のアルバムに収録されていますが。

12月20日にオランダへ出発。来年1月5日から、オランダ・フェイエノールトの練習に参加。正月返上でトレーニングを積み合格を目指す(from東京中日スポーツ)とのこと。小倉は2000年をあっちで迎えるんですね...。私は風邪っぴきでダウンして近年稀に見る最悪な年越し。

以下、サテライトの星さん提供の、グラ番情報です。

12/12(Sun) の CBCテレビ「グランパスTV」で
小倉選手が下記の話をしておりました。
番組によると、12/8にインタビューした様です。

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「今は試合にも行っていない状況ですし。
 それでここにいてもっていう話も
 大いにあると思うんでね。」

移籍を希望していますか??

「そうですね。いい話しであれば、
 そちらの方がよっぽどいいんじゃないでしょうか」

グランパスで出場機会を待つことは??

「いや、それはないですね。
 待つのはもう無いです。
 もう充分でしょう。これだけ待てば。」

「感謝はしてますよ。グランパスに対しては。
 感謝している部分もありますけどね。
 こういう形になってしまったことが
 お互いにさみしいなと思いますけど...。」
1999.12.17 リンク集
グラパチLINKから、OGUmen-LINK networkへ、データ移行中です。あと数十件で完了。OGUmen-LINK networkでは「OGU」「Soccer」等で分類されます。「Grampus」というカテゴリーは、ありません.....。
LINKが切れてないか?Homepageの内容が変わっていないか?などを実際にアクセスして確認しながら作業しています。次々と新しいHomepageが立ち上がる一方、消滅・閉鎖しているところも多い、ということに気付きました。
Homepageに情熱を注ぐことも(特に立ち上げた当初は)大切ではあるのですが、私自身、最近は(良い意味で)マイペースに更新しているつもりです。ずーっとずーっと、ながーくOGU面冠者を続けていきたいと思っております。

いい加減、動画ちゃんとやりたいよー。>山梨のPSM ...もしかしてもう、...暫く、日本で、OGUのDV撮影できない!???
1999.12.16 ヒーロー
生涯、ヒーローと呼ぶに値する人物に何人出会えるだろうか。

我等がヒーローにとってサッカーの舞台イコール「世界」だった...幼い頃からずっと、ずっとそうだった。ほぼ思い通り、順調な人生だった。
大きな挫折を味わってもなお夢は色褪せることなく、ただただ現実とのギャップが歯痒い日々が続いた。

手の届かないところにあると思っていたモノが、実はほんの少しの勇気+決断力+努力で手に入るモノであったりする。
日本の一球団で事実上戦力扱いされなかった選手(←皮肉込めたつもり)が、世界に名を馳せ、実績を残し、「世界のヒーロー」となることが果たして可能なのであろうか?...その答えは半年後、もしくは1年後...遅くとも2002年には出ると思われる。

↓新聞記事のニュアンスが各紙微妙に異なる。どこまでが事実で、どこからが憶測なのか...(愚痴)

【中日スポーツ 1999.12.15】
エクセルシオールでプレーした当時の小倉のプレーをフェイエノールトGMが知っており、今回受け入れ体制を段取り。
20日前後に日本を出発。年明けの練習から参加。
1月上旬の練習でプレーをみて合否の判断を下すことになった。
フェイエノールトと契約できない場合もオランダ1部を条件に移籍先を求めて活動。
グランパスが認めた就職活動は6箇月。
小倉隆史「チャレンジできることは嬉しい。ただ優秀な選手が沢山いるし、(移籍は)そんなに甘いもんじゃないことはわかっている。
(レンタル移籍を前提としているが)できれば、そのまま海外でプレーを続けたい。日本には帰ってきてはいけない、それぐらいのつもり。
まだ26歳。今までの経験を残り半分のサッカー人生に生かしたい」

【サンケイスポーツ 1999.12.15】
昨季リーグ優勝の強豪フェイエノールトへの入団を目指し、2000年1月からの強化キャンプに参加。
プレーできる保証も、ましてや契約を結べる保証もどこにもない。
小倉隆史「心機一転、新しいチャレンジで、新しい自分を発見していきたい。再びオランダでプレーできるよう、全力を尽くしたい」

【日刊スポーツ 1999.12.15】
今回の練習参加は、レンタル移籍を前提としたテストで即契約という保証はない。
小倉隆史「今の中途半端な立場よりやりがいはあるし、自信もある。知らない土地ではないし、前回と同じだけの結果を出す自信もある。もう日本へ帰ってきてはいけないな、というくらいの気持ちでいる」

【スポーツニッポン 1999.12.15】
来年1月中旬からオランダ1部リーグの強豪・フェイエノールトの練習に参加することが決まった。テストに合格すれば半年間の期限付き移籍となる。
シーズン中に京都などが獲得に動いたが、フロントは国内の移籍には難色。93年に1年間留学したオランダ行きで合意。
小倉隆史「(フェイエノールト不合格の場合でも)1部リーグで移籍先を探します。もう帰ってきちゃいけないくらいの気持ちで行きます」

【スポーツ報知 1999.12.13 ←※球団正式発表前の報道】
グランパスと来季以降の契約を結んだ後、オランダに渡る。
グランパスでは圧倒的な人気を誇っているが、ジョアン・カルロス監督の構想から外れ、移籍を決意。京都など国内の数クラブが獲得を打診するも、グランパス側は人気選手・小倉の国内移籍を拒否、海外移籍しか認めなかった。
2002年W杯開催イヤーにはグランパスの目玉として復活させたい思惑があるため、契約も2年間のレンタル。
1999.12.11 いよいよ移籍話が具体化
してきましたね。
9日の中日スポーツによると、「ジョアン・カルロス監督の来季構想を確認したうえで球団側が“移籍もやむなし”と軟化」したようで...小倉本人「フロントも引き留める理由がないでしょう」と皮肉たっぷり。球団・選手の“利害”が一致しないと、移籍は実現し得ないものなのでしょうか...「不必要な戦力」と判明するまで5箇月ちょいかかった、と見做しても、いいのでしょうか...。
来季まで名古屋と契約が残っているので「レンタル移籍」という形になりそうですが、もう完全に未練なし!という感じがしますね...。
来年、国内外、どこでプレーすることになっても、小倉の出した答えに間違いはありません。しかしながら、契約/制約に柔軟性を帯び、現状よりもほんの少しだけ、出場機会を得られる可能性の“幅”が広がろうとしているだけだったりもします。移籍することよりも、移籍した後の方が重要で、大変で、「勝負のしどころ!」なのです。
我々が本当の意味で歓ぶのは、来年、小倉隆史が「確固たる実績」を残すまで、お預けです。楽しみに待ちましょー!!!
1999.12.7 Weeklyぴあ/ビックコミックスピリッツ
6日、『ぴあ』だけではなく『スピリッツ』にもOGU記事載りました。特にスピリッツ→「天皇杯の最中にも発表するかもしれない」と、...遂に“打開策は移籍しかねーぜ!”と断言したも同然。

限りある選手生命...しかし、ケガ無し“完動”小倉隆史にとって、何とも退屈で、空虚で、勿体無い1年間だったことか。
J開幕直前から、こういう結末になる気配は、何となく...いや、確実にあった。が、我々ファン、そして小倉本人も、すぐに“レッテル”を剥がし、レギュラーの座を奪える!と、確信していた。
「移籍」を口にした途端、何の因果か、内出血で手術...。(今だから言えるのだが)結果的に、その時々の監督に認めてもらえなかったというよりは、球団に“レッテル付き小倉隆史”としてしか評価され得なかった、という表現の方が相応しいように思える。
2nd Stageは成績も上出来(準優勝)。特に後半は連勝連勝で「小倉抜きでも勝てる」ことを、充分過ぎる程に証明した。そういう意味で、球団の、
人気も知名度も将来性も確かにあるけど、完治したとはいえ、人一倍ケガ・手術の実績があり、いつ故障するか知れない選手を、
フル代表・五輪代表選手の“存在”及び“最近の実績”を楯に取り「ポジション争いに負けているから」と言わんばかりに本番ではなるたけ使わず、
しかしながらイザという場合に備えて他球団にレンタルすらさせず、籍だけ置かせて“温存”し続ける

(↑と、球団が本当に考えていたかどうか?は確かめようもないが、そう思われても致し方ないであろう)
という“経営采配”は、なんちゃって妥当性すら垣間見得る。
「1年間通してプレーすることで己に磨きをかけつつ、夢に向かって再スタートを切る」という、今年の小倉の決意は、“選手の将来よりも球団の利益優先”主義によって、いとも容易く無下にされた。このことによる(プロ選手としての)悪影響は計り知れない。体調は万全でも、フィールドに立つや否や「足に疲労を感じる」(Weeklyぴあ No.833 P.54)という症状(←JOMO杯で発覚)に見舞われ、いつの間にか“サッカーに不向きな身体”になっていた...。これを克服するには、当然時間を要するであろう。それでも本人、ひたすら前向きだ。

来たる2000年、新天地で、「1999年、もしオレを使っていたなら“優勝”していたに違いない」ということを証明するに足る(証明することすら馬鹿馬鹿しくなるようなすんげぇ)活躍を、小倉隆史に期待しますっ! もう、OGU出るの期待してチケット買って遠出して、数分間だけプレーとか、サブすら名前入ってないなんて、イヤだーーー!!!
1999.12.4 Football JAPAN Vol.2
最近、真面目っぽい文章ばかり書いてきたんで、ちょっとくだけた表現で書かせていただきます。と、前置きして...
知る人ぞ知る“OGU面オリジナルうちわ”を、トヨスポ(=現練習場)でOGU本人に手渡して下さった方がいらっしゃって(ありがとうございまーす!!)その証拠写真を拝見させていただきました...それが、笑ってるんですよ...
ほぼちょーど4年前、私が日進グラウンド(=旧練習場)に行った時は、我々にニコリともしなかったのに。
竢o版『Football JAPAN Vol.2』によると、この頃、OGUは「サッカー楽しかった」んですね...今とは比較にならない位に。ファンには無愛想でも、練習やゲーム最中、サッカーで心底笑うことができていた時期...に、私はOGUを好きになったんですねぇ...しみぢみ。(以下2行、本文より)

インタビュワー:問「クラブ・ハウスといい、グラウンドといい、素晴らしい環境をグランパスは持っているよね」
小倉隆史:答「何せ、トヨタの持ちもんですから」 ...........

うまく言い表せないんですが、私自身、結構衝撃受けました。(深読みし過ぎかもしれないけど)グランパスの所属選手も所詮、トヨタの持ちもん→“プロ契約=自由の制約”...嗚呼、ごめんなさい。私の勝手な分析ですんで、偏見入りまくってます...一見解としてご理解下さい。でも...契約と制約は、表裏一体なのかもしれませんね...。「自分ではどうしようもないところにいたりするし。できる範囲は限られるんでね」
制約ある“トヨタの持ちもん”環境下、「できる範囲内で頑張った後で、色々、答えが出せないなら、自分が一歩踏み出せばいいのかなって。それからですね、色々答えを出していかなきゃいけないのは」小倉隆史said。今現在も、頑張っている最中なのだろうか...それとももう既に、頑張った後なのだろうか...。「場所と責任」を求めて踏み出す先は、決まっているのだろうか...。“答え”=結果を魅せてくれるのは、いつ、どこで、誰に対して.....???

“場所と責任”が先か?“答え”が先か...? OGUの闘いは続いていく。

       ↑ 「 」内、Football JAPAN Vol.2本文より


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