1998.1.21 |
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其の35 |
1997.2.10 吉田家“奏実ちゃん”誕生記念!!
平野孝 平面冠者 1 2 3
世界にはばたくワンダーレフト
豊かなる創造(想像)力を駆使して、擬似的に平野孝選手の言葉に
置き換えてつくられております。よって、平野孝選手本人の気持ちを
的確に表現しているとは限りません(当たり前)。
みなさん、こんにちは。
『OGU面冠者』にとってかわった!?
『平面冠者』の主役“平目顔”の平野「パソコン欲しいゾ」孝です。
僕は、93年に清商からグランパスに入団し、
その年からトップチームで活躍、
19試合にFWとして出場し、4得点あげました。
昨年(1996年)のOGUより、出来は随分良いですね。
特に僕が初スタメン・フル出場を果たした横浜フリューゲルス戦で、
当時日本代表のDFだった大獄選手をぶっちぎりフッ飛ばして挙げた
Vゴール=初ゴールは思い出に残っています。
次の年は、ミルン監督にFWから左の攻撃的MFにコンバートされ、
元セレソンのエリベウトンをレギュラー争いで退け、
グランパスの不動の左MFの地位を手に入れました。
サンパウロFCおよびブラジル代表でミューレルと
左のアタッカーを争っていたエリベウトンとの競争に勝ったことで
僕は大きく自信をつけ、次の年大きくはばたくことになります。
(西尾注:この年のグランパスの外国人選手は、
リネカー、ジョルジ、ピクシー、ビニッチ、ガルサ、
およびエリベウトンという顔ぶれで、実際にエリベウトンが
負けたのは外国人枠争いですが、左のMFは平野がいるから
外国人を使うまでもないという判断があったのだと思います。)
次の年、グランパスはフランスから
ベンゲル監督を迎え、彼によって大きく飛躍します。
しかしながら、グランパス躍進の最大の要因は
僕の成長!僕の活躍!
と言っても過言ではありません。
現に僕の調子の良い時のグランパスは強い、
という評価を受けていますし、
左サイドの誰も止められないスピードあふれる突破や、
ワンダーレフトから繰り出されるミドルシュートで
何度もゲームを決めました。
この年、OGUがいなくなってからチームが急に強くなったのも、
OGU不在のおかげでのびのびプレーできたからです。
天皇杯では、直線的な突破だけでなく
巧みなフェイントで相手DFを翻弄し、
OGUにたくさんの得点をプレゼントしました。
もともと僕のドリブルはそのスピードが注目されがちですが、
実はテクニックもあるんだゾ!ということを
この天皇杯で見事に証明できました。
OGUは得点を自分の手柄のように威張っていますが、
天皇杯でOGUが活躍できたのも僕のおかげです。
(昨年の、最終戦でのOGU初ゴールも、僕のお手柄です!!)
昨年(1996年)は、フリーキックから沢山点を取りました。
ピクシーやデュリックスも僕の実力を認めてくれて、
僕にフリーキックを蹴らせてくれたんです。
元々僕の左足は、その威力だけが注目されがちだったんですが、
高校時代にコーナーキックを毎日何百本も蹴っていたこともあって、
僕のキックはとても正確です。
両脇にピクシーとデュリックスを従えて、
フリーキックを直接決めた時は、さすがに僕もしびれました。
さて、今年(1997年)は(今でも十分に世界に通用すると言われていますが)、
まだ90分間フルに自分の力を発揮できないので、
体力の強化とよりシンプルなプレーに徹して、
正確性・安定性を向上させたいと考えています。
世界のトップと僕との違いは、
力を安定して発揮できるかどうかの違いなのでは…?
実はコレが最も難しいのですが、まずはケイロス監督の下、
みんなと力を合わせて優勝を勝ち取り、
その戦いの中で自分もより成長していきたいと思います。
今年(1997年)は皆さんが、アッと驚くようなプレーを
毎試合お魅せすることができるでしょう。
…それでは。
世界にはばたくワンダーレフト
…“心”は平野孝
(代弁者:西尾明徳氏)
情報源/引用元★月刊GRUN(中日新聞社/1997年3月)
西尾明徳氏のホームページ『吉田本家のホームページ』
吉田本家の掲示板
西尾明徳氏(=吉田明徳さん)より…
ロナウド、ラウール、デルピエロなど、世界で平野と同じ年代の選手が活躍している
話を聞くたびに、「彼にも世界の舞台を踏ませたい!!」と願わずにはいられません。
今年は、代表に選ばれて、少しでも世界に近づくことを目標にして欲しい!!
加茂さん、自分の能力不足で平野を使いこなせないことを棚に上げて、
彼に対して「戦術理解度が足らない」なんていう評価をするのはやめてください。
加茂さんのやっているサッカーは、“ベンゲル/グランパスサッカー”と
同じなのに、ベンゲルサッカーを完璧にこなす平野が
なぜ代表に選ばれないんですか???
誰が見ても変ですよ。なんで路木なの???
平野孝 平面冠者 1 2 3
1998
スーパーレフトアタッカー .....頑張れ 平野 さん 1998.1.9
清商時代に初めて平野を見た時、「こいつはやるな」と思い、
以来、平野ファンの1人です。
地元が東京で、冬の選手権は帝京が出場しない事には落着かなく、
森山、磯貝がいる帝京が沢登率いる東海第一にPK戦の末負けた時、
優勝できると思っていた私は、
額に包帯を巻きながらプレーした森山を今でも鮮明に憶えています。
その森山がグランパスに入団した事がサポータになったきっかけです。
その後、レフティ・モンスター小倉が入団(この時の相手は帝京)し、
すごくお気に入りの2トップができたかと思えば、
スーパーレフトアタッカー平野も入り、
内戦さえなければ94年W杯は、
この人のものだったかもしれないストイコビッチまで入り、
Jリーグ開幕時に比べれば、
今は戦力的にもだいぶ安定してきていると思います。
しかし、まだ今のグランパスでは駒不足です。
少しでも早く、ストイコビッチの後継者となる人材(望月以外)を見つけ、
育て、トップに上げていかないと、
グランパスの黄金期というのは、来ないと思います。
まだまだ、書き足りませんがこれくらいしておきます。
とにかく、平野には代表に選ばれるようにがんばってもらい、
そこで左サイドMFのレギュラーの座を獲得してもらいたいと、
本当に真剣に思っています。
帝京は負けちゃったけど、平野は負けないでがんばってくれ。