OGU面冠者
2000.4.14 小倉隆史選手 応援HOMEPAGE 冠者124

四中工 小中中
※知内星護案 ↑ 「よんちゅうこう しょうちゅうちゅう」

2000.4.14 さぁーて、そろそろ...
戦線復帰?回復は順調なようですね。
OGUが試合に出ないことが判明すると、音源(CD)探しな土曜日が続いております。同時に「小倉隆史 18歳の挑戦」の(ビデオテープではなく)レーザーディスクなんかも密かに探してたりします...そしたら川崎アゼリアで
こんなのをGETしちゃいました。1枚1000円!2枚で何と、2000円!!
明日は市原で(観戦ならぬ)観OGUか、六角橋→三軒茶屋→池袋→中野の音源探索か...どちらでもいいように、ホリデーパス(土日祝日、2040円で首都圏近郊のJR1日乗り放題)買っておきます。
そーいえば千葉県ってMAXコーヒー売ってるんですよね。久し振りに飲みたいなー。
2000.3.30 小倉隆史歴代怪我一覧表
...もう載せなくていいから>マスコミ各社
OGUも訊ねられたら「ケガのことはインターネットかなんかで調べて下さい」とか言って済ませていいよ。

明後日は川崎・等々力ですね。1995年、川崎市民だった私は、J’s Goalに15分おきに電話して試合速報を職場(=コンビニ)で聞き入っておりました。この時、自転車で行ける距離の等々力で、OGUはゴール決めているんです。...ものすごぉーく悔しかった...「なんで観に行かなかったんだろう?」と。行って後悔するより、行かずに後悔する方が、数倍無念なのではないでしょうか。
1996年の等々力は、当日券を購入して観戦したものの、後半途中出場で、ゴールは無し。今度こそ、川崎で、この目で、是非OGUゴールを目撃したいです。出場して欲しいなぁ.....。ヒザの具合、どうなんだろう?

余談:過去の冠者にLINK張るのはいいんだけど...昔自分の書いた文章読むのが、最近めっちゃ恥ずかしいです...。アーティストが過去の作品を自ら“廃盤”にしたがる気持ちが、わからなくもない...かな。
2000.3.29 原点(4) インターネット
もはやTVや電話並みに身近な存在となった、インターネット。私の場合、Homepageを開設するために始めたと言っても過言ではないので、最初の頃(4年前)は「自己表現の手段」でしかありませんでした。
最近は、というと.....(広義に)様々なモノを手に入れる手段、と化しております。具体的には、情報だったり、人間だったり、お宝グッズ(←具体的に問うツッコミ不可)だったり.....。
後者になるにつれて、それ目的で直接的行動に出ないと入手することが困難です。前者は...「私は小倉隆史が好きです」ということを世に(?)知らしめまくった結果、それなりのコネができたりなんかしちゃったりして(←浜崎あゆみの歌詞的表現)、「ここだけの話ですけど、○○という噂が」などというモノに遭遇することもしばしば。真偽不確定な情報は極力大っぴらに掲載はしませんが、オフ会や会員制掲示板のネタにはなります。それがまた楽しい。(っていうか、一番面白いのは、決して表に出ることのない、裏話!?だったりしちゃったりなんかして...)
よーく考えてみると、「一個人が真の情報発信者になる」のには、限界がある、というよりはむしろ、“無理がある”のではないか?...当初私はこれを無意識のうちに目指していた...ような気もしなくもないんですけどね。
「極力無理せず、肩の力を抜いて、できることをやろう」と、いつの日からか心掛けるようになりました。私の判断で「確からしさ」を帯びた情報を抜粋・掲載、プラス自分の言いたいことをちょろちょろと。OGUとか、サッカーとか、旅行、音楽、映像...私の脳味噌の中ではこれら同士の関連付けがなされているんです。そこらへんを焦らず急がず、じっくりと時間をかけて表現していくことで「私らしさ」が明確になっていく...と。それがogumen.comらしさ、です。
2000.3.28 原点(3) 名古屋グランパスエイト
私がHomepageを立ち上げたのは4年前ですけど、当時はミニコミ紙『虞麗偉徒』のインターネット版として開設されたものでした。従来の虞麗偉徒読者は学校や職場の友人知人、プラス親族であり、OGUやグランパス、サッカーすらにも興味のないメンバーが殆どでした。故にHomepageにアクセスして下さった方からの反応が嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
奥さんが、グランパスの選手がPK戦をするバラエティー番組を偶然見て「面白かったよー」と自慢気たっぷりに楽しそうに話すんです。...正直、とても羨ましくなりました。今現在私は、応援対象の本命が不在になったことによって、グランパスの情報には全く疎くなっているのですが、“5年”という月日が、“俄他球団サポ”になる壁となって私の前に立ちはだかっているようです。
お気づきになった方はまずいらっしゃらないと思いますが...
冠者120までは、「名古屋グランパスエイト 小倉隆史選手 応援HOMEPAGE」と明記されております...が、冠者121以降はただ単に「小倉隆史選手 応援HOMEPAGE」に書き換えられているんです。その他にも掲示板本店のタイトルを変更したり(OGU! GRA! DO!!→OguraGreatDreams)、OGUがJ2に移籍しても(所属球団がいつJ2落ちしても)大丈夫(←!?)なようにJ2-Totocalcioつくったり、LINK集を登録制にすると同時に「Grampus」というカテゴリーを廃止する等、昨年12月頃から、小倉隆史が名古屋を去ることを前提とした対策は、こっそりかつ着々と進行しておりました。
OGUが移籍を公言し始めてから、私の中にひとつの覚悟が誕生し始めました。最悪、私は、Homepage開設をしたことによって得てきた全てを失うことになるのかもしれない...もしそうなったとしても、自分の“やり方”や、信念を曲げる訳にはいかない...。元々ゼロから始まったのだから、ゼロに戻ったとしてもそれはそれでいいではないか...と。
昔からそうなのですが、私は本当に、ヒトを見る目が無いようです。どうして、もっともっと信じることができなかったのでしょうか?...「グランパスを応援しなくなった位で途絶えるような関係ではない」ということを充分に証明し得る事実を、つい最近、たて続けに見せつけられました。個人的に名古屋グランパスエイトという球団に対してはいくつも疑問符を抱いておりますが、上記のような理由で私は“アンチ名古屋”とならずに済んだような気がしてなりません。
グランパスのサポーターでかつ小倉隆史を応援している私の仲間は、私にとって、かけがえのない宝!と、言い切ってしまいましょう。全てをネガチヴに、消極的に考えて、不安に陥り落ち込む日々はもう既に過去形です。

3月25日...小倉隆史はケガで欠場。メンバー発表後、西ヶ谷隆之と共に入団の挨拶をするのを生で観ることができました(泣)。試合は...(二重の意味で)寒かったので、前半終了後、五井駅行き無料バスに乗車させていただきました。
OGUの居ない(出場しない)グランパスの試合は、それ相応に応援できていたのですが.....胸を張って「ジェフサポです!」と言えるようになるまでには、やはりもう少し時間がかかりそうです。
2000.3.18 市原・小倉隆史 初ゴール!!
小倉隆史「ゴールはいつ以来?記憶にない位。右足なんて…珍しいですね。
怪我してから、グランパスでは必要性や期待を感じることはなかった。
ここ(市原)では監督やチームの人達が期待してくれているのがわかる。
やりがいのあるチームだな、と思った。これから、ここに僕がいる意味をつくっていきたい」

母・八千代さん「とにかくホッとしました。本当に怪我に泣かされてきたので。
(1998年夏、オランダで)もうサッカーができないかもって言われて。一番ツラい時期だったと思います。
連絡が来たら、良かったね、ゴールも決めて良かった、と言ってあげたい」

中西永輔「何かやってくれそうな感じはあった。珍しく右足でしたけどね。幼稚園並みの(笑)。
あいつは話すたびに“試合に出たい”ってそればっかり言ってた。やっと結果が出せる場所ができましたね。
慣れてくればもっとやってくれると思う。ゴール前でちゃんと結果を残してくれるヤツだから」
【19日/スポーツニッポン】

小倉隆史「相手は(退場で後半)10人だったし、点を取らなきゃいけなかった。勝ちたかった。
必要とされ、燃えるものが名古屋では感じられなかったが、このチームは違う」
【19日/デイリースポーツ】

小倉隆史「(後半15分、ファーストタッチでいきなりシュート)負けていたし、今までよりゴールという意識は強かった。
ヒロ(広山)がドリブルでいってくれたので裏が取れると思った。ヒロがいいボールをくれました。
試合を続ければコンディションは上がるので、どんどん(点を)取れるようにしたい」
【19日/スポーツ報知】

小倉隆史「相手DFの裏を突けると思った」
夜の便で帰京したチームとは別に、小倉は単身名古屋入り。
13日にオランダから成田へ帰国、そのまま市原入りして入団交渉→練習合流。
「だから生活道具がないんです。家に寄って、車なんかを取ってきます」【19日/サンケイスポーツ】
2000.3.17 永輔の魅力/一三と同棲!?
迷っていた時に国際電話で「一緒にやろうや」(中田)、「来てくれ」(中西)と誘ってくれた四中工の仲間と一緒にトリオで15日、原宿の美容院で髪をカット。
小倉隆史「先発?いや、6−1で勝った試合の次に僕ってのはナンセンス。
ただベンチに入る以上、いつ出てもいいように準備はしておきます」

中西永輔「イチゾー(中田)が(98年に大分から)来たこと自体まさかだったのに、3人揃うとはね。
きっと2人とも僕の魅力に引き寄せられて来たんでしょう。
責任感が強いやつだし、出ればどんどん点取ってくれると思っています」

中田一三「小倉がオレが丸くなったって驚いてる?高校を卒業してからオレが一番大人になったからね。
次が小倉でエースケ(中西)が一番子供。
今はオレの部屋で小倉と同棲?うん、してるよ」
【18日/スポーツニッポン】

名古屋で事実上の戦力外通告。昨年12月に欧州へ渡り、3試合の実戦テストを受けるも合格通知は無く...そんな状況下、1年以上も前から声をかけていたのが、市原だった。
小倉隆史「選手の特徴や戦術もぼちぼちわかってきた。
若い選手の見本になりたいですね。僕もジェフで新たなチャレンジですよ。
不安よりも試合に出たいという欲求が強い。
今まで以上に得点にこだわっていきたいし、自分らしさを出して点につながれば。
広島戦?いつでも出られる準備はしています」
【18日/サンケイスポーツ】

小倉隆史「開幕6点スタートなんだから、このままいくでしょう。自分は、展開次第でいい形で入っていければいい」
ザムフィール監督「小倉は優れたストライカー。あと1〜2週間で確実に11人に入ってくる」【18日/日刊スポーツ】
2000.3.14 四中工トリオに愛称を
市原・岡健太郎社長「小倉君を大きな戦力として考えていることは勿論、経営者として、中田・中西と同級生という話題性が興行面に与える影響にも期待してます」
チーム関係者「チームとして特別に公募することはありませんが、3人揃って活躍すれば、(3人の愛称として自然発生的に)何等かのものが生まれると思います」【15日/日刊スポーツ】
CM出演の話も進んでいる。JR東日本「魅力的な素材」…まずはチケット告知の車内ポスターに起用される可能性が高い。【15日/スポーツニッポン】

小倉隆史「とにかく試合に出る場が欲しかった。市原を上へ上へと引き上げていくのもいいチャレンジになると思う。
(日本代表は)常に頭の中にある。ジェフで活躍してアピールしたい」【15日/スポーツ報知】

小倉隆史「幅の広い動きをしてゴールにこだわりたい。
城や中田の試合はオランダでも見ていた。僕の中にも代表は常にある」
【15日/スポーツニッポン】

小倉隆史「どんどん買われていくのが選手のステータス。海外でのプレーは大きな目標として持ち続ける」【22日/サッカーマガジン No.756】
2000.3.13 名古屋→市原 レンタル移籍 決定
午後、オランダから日本航空で成田に帰国。
市原のクラブ事務所で契約交渉、来年1月までの期限付移籍で契約。【14日/東京中日スポーツ】

中西永輔・中田一三・小倉隆史の四日市中央工トリオが8年振りに“再結成”。
新背番号31・小倉隆史「こういう形になったけど、まあ、見ていて下さいよ。
向こう(オランダ・ベルギー)でのことは言い訳になるから話したくない。
今はプレーできるだけで嬉しい」
【14日/中日スポーツ】

「“戦力”として呼ばれたので頑張りたい。(四中工トリオが揃うのは)楽しみだし、懐かしい。
ここ(市原)で結果を出して、取材される度に聞かれる(怪我についての)質問が出なくなるようにしたい」
【14日/日刊スポーツ】

「右ヒザは何ともない。(市原が)優勝できるよう、チームを変えられるよう頑張る。
(オランダの)フェイエノールトで練習していたので行けと言われれば(18日の)2節から行ける。
四中工の仲間とやれるのが楽しみ」
【14日/スポーツニッポン】
2000.3.12 発表
13日に帰国し、期限付移籍を前提にジェフユナイテッド市原の練習へ参加することが発表される。【13日/東京中日スポーツ】


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