OGU面冠者
2000.3.3 小倉隆史選手 応援HOMEPAGE 冠者122

2000.3.3 ピクシーの誕生日は「ひなまつり」
小倉隆史情報が皆無に近いです...。
「知らせが無い=オランダで奮闘中」ということがわかってはいるのですが...。
尤も、何等かの結果が出るまで情報を止めているのは彼自身の意思のような気がしないでもないのですが。
苦しく、厳しい現実もひっくるめてサッカーを楽しんでいる、と、信じても、いいですよね?
いつになるかはわからないけど、吉報があると、信じています!!!

原点に返る(1)応援

2000.2.19 ogumen.comのミレニアム合言葉は「原点に返る」
2000年1発目のOGU面冠者は“移籍先決定!”にしたかったんですけど...それまでに「やっておくべきこと」を(先送りせずに)今、やっておこう、と。

2月16日に、某コンビニの懸賞で当たった「Hello! Project Happy New Year 2000 コンサート」に夫婦で行って来ました。出演は、モーニング娘。・太陽とシスコムーン・三佳千夏・カントリー娘。・平家みちよ...私は特別、彼女らのFANではないのですが、結構楽しめました。そして実感したのが「応援対象の存在のありがたさ」です。
もし私が十数年前、某グループのコンサートに行っていたなら、周囲にいた熱狂的FANのように、なりふり構わず全身を使って声援を送っていただろうなーと。応援できたり、同志と一体感を味わえるのは、応援対象が「現役」の今だからこそなのだなーと。

では、どう応援するか...?応援とは、どうあるべきか...?
OGU面冠者では1996年から1997年にかけて
冠者31冠者32冠者42で取り挙げております。が...今、あらためて「原点に返る」べく、自分なりに考えてみました。

人は何故、人を“応援”するのだろうか?.....

 応援をしても、直接的に選手・球団の力になっているとは考えにくい。では、全く「無力」なのだろうか?いや、「声援」や、「応援されているという事実」が選手達に届いていない訳が無い...間接的には力になっている、と考えても良いのではないか?そもそも、ファン(サポーター)の応援なくしてサッカーという「商売」が成立し得ないのも事実...しかしながら「どれだけ力となっているか」を、明確な形で確認する術が、残念ながら存在しない。応援の良し悪しを測るモノサシが、無い。

 他人の応援スタイルが気になる...「見習いたい」場合と「否定したい」場合と、ある。けれども応援に正解なんて、無い。誰かに応援行為そのものを評価してもらうために応援している訳ではないのだから。応援の定義はまさに「人それぞれ」である。無理矢理説明づけるとすれば、「本人に(応援しているという)自覚があるか否か」で考えれば足りるのではないか。
 Aさんは「B選手が大好きだからB選手を応援している」自負がある。一方、Cさんの目にはAさんの応援が「裏目に出ている」と映り、「B選手を応援していることにはならない」...と、Cさんに判断されたとしても、Aさんの行為は「応援」なのである。
 広義な解釈かもしれないが、応援に(伝統的)不文律が存在したとしても、守るべき規則は無い。「人間としての最低限のマナー」さえ守っていれば、参加も手段も「自由」...当然ながら無資格・無免許、義務も無いと言っていい。応援対象に愛想が尽きたら、いつでも自分の意思で応援行為を中止できる。

 応援は時として「無責任」もしくは「押し付け」と化す場合が、ある。
 上を目指し、もがき足掻いている人に対して、本当に「がんばれ」という言葉が適切であるかどうか?首を傾げたくなる時も確かにある。言われた側も、言った本人に「悪意が無い」ことを承知していることが多いであろうから、「がんばれ」と言われたら(言われた側がどう感じたかに拘わらず)「ありがとう」と返すことが半ば当然的習慣となっているような気もする。
 試合に敗けた後の声援...選手が「ありがとう」どころか一礼すらもしない場合もある。サポーターが「失礼だ」と感じたとしても何ら不思議ではない。でも選手の心境を考えると、それも致し方ない気もする(声援を無視している訳ではなく、声援に応えられなかったことが悔しいのでは?)。
 応援する人は、応援したその「見返り」を求めているのだろうか?思い通りにならなかった場合、本気に真剣に腹を立てるのは、見返り(勝利・ゴール・活躍)を得られなかったからなのだろうか?
 一生懸命応援しているのに、うまく伝わっていないと実感することがある。が、それは、応援の方法・手段に原因があるとは限らないのではないか?...応援して結果を求めることよりも、大切なのは、今、「応援しているという事実」なのではないか?応援する行為こそに意義があるのではないか?...迷い省みて最善の道を模索しながら、「好きだから」という理由ひとつで応援を続ければいいのではないか...?

 私自身が実践している「小倉隆史応援」は全て「がんばれ」というセリフに置き換えることができる、と言い切ってしまってもいい。しかしながらOGU本人に「ありがとう」を求めはしない。無責任と言われても構わない。私はただ、「至福の喜び」を「同志」と「共有」したいだけ。OGUがそれに、どんどん関わってくれさえすればいい。「がんばれ」よりも「ありがとう」と言わせて欲しいから!!

 好きだから、真剣になる。怒る。悲しむ。泣く。こだわる。喜ぶ。そしてやっぱり、応援する...。
 小倉隆史大好き!な人達が集い、語り合い、気軽に立ち寄れる場所であり続けますように...。


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