オグるまだん吉くん OGUmen-STORY  
閉ざされたノンフィクション
〜秘密の封印〜

知内星護

第7話 プロセスの向こう側

 銀河をほったらかしにして、大成は家の中に戻った。

「ちょっと、兄さん!プーちゃん、プーちゃん!」

「あ、ああ…り、里朝ぁ〜!」隆の声が裏返った。

「お、おにぃ〜様ぁ〜?きょ、きょお〜はぁ…プー…じゃなかった、大ちゃん様がお作りになられました、おカレーライスでございますわぁ〜!」

「おぉ〜!それはそれは…美味しいに違いない!楽しみだなぁ〜!」

「わ、私も…お手伝いやらさせていただきましたわ!きっと、二人の血と涙の味が絶妙なハーモニーを醸しだしているに相違ないと存じますでございますわ!」

 この兄妹の会話は、当然大成の耳に届いていた。二人のいるリビングに足を踏み入れることを躊躇した。

 隆は急に小声になって、「…おい…ちょっと、わざとらしいんやないか?」

 里朝も小声で、「…この位大げさにやらないと、兄さんにまた喧嘩売りそうになるのよ…」

 隆は表情を曇らせつつも納得し、立ち上がってリビングを出た。

「あ、なんや。いたんだ。早ぅ来ればええのに。…銀河は?」

 大成はトイレに向かいつつ、「あいつは…知らん!」

 隆は首を傾げながら椅子に座った。

「どうしたの?」スプーンで皿をチンチン叩きながら里朝が訊ねた。

「…何かよう判らんけど…怒っとるみたい…」

「え?…やっぱり私の演技、ヤバかったかなー?」

「いや、そうやなくて…」隆は水を口にした。

「どうなのよ?」

「判らん」

「あてにならないわねー…いいわ、直接聞くから」里朝はスプーンをテーブルに置いて立ち上がり、各人の皿に《きらら397》を盛り始める。

 隆は大根カレーをゆっくりとかき回した。「あれ?…ニンジン入っとる」

「私、入れないで!って言ったんだけど…。《俺のカレーには入っているんだ!》って…」

「大ちゃんらしいな」隆はニコッと笑った。

「な、何よ、それ…。らしい?…兄さん、プーちゃんの何を知っているって言うのよ!」

「…え?」

「プーちゃんのことなら、全部知ってる!みたいな言い方、やめてよね!」

 隆は口を閉ざし、カレーの鍋に蓋をした。

「…これからが勝負なんだから!兄さんが私よりほんの少しだけ早く先手を打っただけ。まだ決着はついてないわ!」

 スプーンを水の中にチャプッと入れて、隆「何ムキになってるんや?」

 里朝はハッとして、一瞬手を止めた。

 ちょうどその時大成が来た。雰囲気の変化を感じ取った。「…どうしたんだ?…学芸会はもう終わったのか?」

 里朝は隆と目を合わせて、右目を強く閉じて口を右に上げた。「な、何…それー?何のことかしらー…」

「そそそ…そうだよ、大ちゃん。…なぁ、里朝、僕達…普段と変わらないよなー?」隆は里朝に同調した。

「うーん。そうよ!私達、いつもこんなふうなのよ!ねぇ、お兄様!」里朝は隆のそばに行って右手を隆の首に巻きつけた。さっきよりも自然に演技している自分に気付いてはいなかった。

 大成にはこの仲の良さが九分九厘《嘘》であるという確信があった。しかしそこには自分に対する《思いやり》を感じていた。…俺のために、やっているんだな…。仕方ない、騙されてやるか!「わー、なーんだ、心配して損しちゃったなー!僕はてっきり二人が超、超、ちょおー!仲悪ぅーいって思っていたのにぃー…。あーそーなんだー、仲良し兄妹だったんだねー!わーいわーい、嬉しいなー…僕ちゃんも仲間に入れてねぇー!」自身がゾッとする程、学芸会だった。

 もっとゾッとしたのは、先に演ったこの二人。今さっきの自分達をあまりにも見事に再現されて、超、超、ちょおー!恥ずかしくなった。

「兄さん…カレー、よそって…」里朝はうつむきながら自分の椅子に座った。

「あ、うん…」

 兄妹のテンションは一気に下降線を辿った。

 隆と大成はもう大根カレーを食べ始めていた。里朝はニンジンをじっと見つめていた。

「どうしたの?…食べないの?」

「ニンジンやろ?勇気を出して一気にパクッと…」

 里朝はおそるおそるニンジンを口へ運んだ。が、途中でやめて、スプーンを皿に戻した。

「里朝…大ちゃんが自信を持って作ってくれたんやから、大丈夫や!」

 大成はドキドキしながら里朝の動向を見守った。

 里朝は深呼吸を二回して、スプーンを手に持ち、目をギュッとつぶった。《異物》が里朝の体内に侵入する瞬間が、隆と大成に目撃された。

「あ…」大成は思わず声を挙げた。

 里朝の口は暫く動かなかった。そのまま飲み込まれるかのようにも見えたが、表情の弛緩がないまま、徐ろに異物は噛み砕かれた。

「ど…どう?」

「里朝…」決してニンジンを食べようとしなかった里朝しか知らない隆は、無意識のうちに手に汗を握っていた(スプーンと共に)。

 里朝の口の動きが確実に早くなってきた。変化はそれだけにとどまらなかった。固く閉ざされた瞳が開くのとほぼ同時に、涙がポロリとこぼれた。

「里朝…ちゃん…?」

「…やった…やった!やったー!おー!!」隆は大成に握手を求めた。「おめでとう!!」

 大成は口をポカンと開けたまま、右手を差し出した。

「美味しい…美味しいよ…とっても…。こんなカレー、初めて!」里朝の口と手の動きは止まらなかった。あっと言う間になくなり、一番早くおかわりをした。「とっても辛いわねー…汗が止まらないわー!暖房、少し弱くするね」

「汗やないやろ…」

「汗よ!」

「目から出る汗があるか?」

「…あるわよ!知らないの?」

「知らん!僕は出ない!」

「スポーツマンのくせに…出ないの?高見山にはなれないわね!」

「タカミヤマ?」

「元関脇の外国人力士よ。今の東関親方」

「僕は…相撲なんかやらんもん」

「判ってないわねー…。大物にはなれないっていう意味よ」

「オオモノ?…あんなに太ったらプレーできへん!」

「…バーッカ!」

 大成は微笑みを浮かべながら、カレーと兄妹喧嘩を味わった。

 …すっかり忘れ去られた…「みんな…ひどい!ひどいよ!…風邪、ひいちゃったじゃないか!…えーい、伝染れー!伝染してやるー!ゴホゴホゴホ…」銀河は三人に嫌がらせをすることで己の存在をアピール。益々嫌われる。

 盛り上がった食事の後、大成はひとり部屋に戻った。が、すぐにひとりではなくなった。

「めーむーろーさぁーん…」悪魔の囁き。

「来るんじゃないかって、思ってた」

「え?そ、そうだったんですかぁー?嬉しいなー…」

「…で、どうしたんだって?」

「…ハハハ…、芽室さんの超美味しいカレー食べたら…忘れちゃいました!」

「へー、そんなもんかねー…そんな程度だったのか?」

「そ、そーなんです!ハハハハハ…ゴホゴホ…」

「早く風邪治せよ。スポーツ選手は健康管理が大切なんだから」

「はーい!…ゴホゴホ…」銀河はティッシュを手にした。

「もう…隆のこと…」

 銀河は故意に話を遮った。「…ゴホゴホ…トイレ。…また戻って来ますから…」銀河は部屋を出た。そして涙も出た…。ドアを背もたれにして、声を殺して泣いた。…せっかく、明るく振る舞っていたのに…。やっぱり芽室さん…性格悪いよ!…トイレットペーパーで涙を拭き、笑顔を作って再び大成の部屋へ向かった。

「あ、えーと…銀河くん、だっけ?」戻った部屋には里朝が来ていた。

「は…はい」

「じゃ、私…帰るから。プーちゃん、またね!」

「うん…また今度」大成は軽く手を挙げた。

「銀河くんも…卒業したら、ここに住むんだよね?…私もたまに来るから、宜しくね!風邪、早く治すんだゾ!」

「あ…ど、どうも…ゴホゴホ」銀河は軽く頭を下げた。

 大成は立ち上がった。

「あ、プーちゃん、ここでいいよ。ここでさよならする…。じゃあね!」

 二人は手を振って里朝を見送った。

 この後、里朝は隆の部屋へ行った。

「今日は、上出来だったわ。協力してくれて、ありがとう」里朝は怒ったような顔をしながらも隆に礼を言った。

「いや…僕の方こそ…ありがとう…」隆は頭を下げた。「ひとつ、聞きたいことがある」

「何?」

「大ちゃんのカレー食べて…泣いたのも、芝居か?」

「嫌だなぁ…あれは、マジよ。プーちゃんのカレー、ほんとぉ〜に、美味しかった!…ニンジンね、レモンとリンゴで煮込んで臭みを取ってくれたの。《隆は朝、パンだから…リンゴジャムにしよう!》って…」

 隆は寝転んで、手で頭を抱えて笑った。

「また、来るから…。兄さんに会いに来るんじゃないからね!」

「判っとるよ」

「言っても…いいよ。私達…血がつながっていないってこと」

「…え?」

「プーちゃんには、ホントのこと、知って欲しい!プーちゃんには、私を…きちんと正面から見てもらいたいの!」

 隆は、同じような台詞を大成に言われたことを思い出した。「うん…、似とる。やっぱ似とるよ!」

「…え?」

「…いやいや、独り言」

 隆と里朝が血のつながっていない兄妹だということは、二人の《秘密》のうちのひとつに過ぎなかった。

「帰るわ」里朝は背を向けた。

「送っていこうか?」

「ううん…いい」

「里朝…お前、変わったな」

「…え?」振り返った。

「久々に、兄妹らしい会話したなーって…」

「…プーちゃんに、感謝しなさい!」里朝はほんの少しだけ笑った。隆は申し訳ない気持ちで一杯になった。取り返しのつかない過去が以前にもまして重く隆にのしかかった。

「あ…あと…」

「何よ?」

「タカミヤマ…?」

 呆れた顔をして里朝は自分の瞳を指差した。「ココロの、アセ!」そう言い残して、里朝は帰った。後ろ向きで手を振りながら…。

「心の汗…?涙やなしに、心の汗…?…一句《タカミヤマ、僕はオオモノ、ならねども、心の汗で、カレー食いけり…》うん、我ながらいい出来だ。《けり》と《蹴り》でナゾカケも出来そうやなー…」

 大成は銀河を暫くじっと見ていた。

「…な、何ですか…?」

「…悪かったな、さっき…」

「…え?」

「きちんと銀河の言うこと、聞いてあげればよかったなーって…」

 これだけでもう銀河は再び涙腺が緩み始めていた。

「俺、隆に言ったんだ、《俺のこと、きちんと見て欲しい!》って。なのに俺は銀河のこと、いい加減にしか見ていなかったんだよな。タイミング…あの時、聞いてあげなきゃ、いけなかったんだ…」

「…どうして…どうして…」銀河は下を向いた。涙が引力に吸い寄せられてボタボタ落ちる。「ホント…芽室さん…性格…悪いよ!」

「もし、今でも…あいつのことが好きなら…今でも俺に話すことがあるなら…」

 大成の台詞の直中、銀河は大成にしがみ付いて泣き続けた。大成はそんな銀河がとても可愛く思えた。

「好きです!大好きです!…判りますか?言いたくても…言えないこの辛さ!」

「好きなら…言っちゃえばいいじゃん」

「そんな簡単な問題じゃないんです!」

「恐いだけだろ?フラれるのが」

「フラれるのは恐くなんかありません。恐いのは…フラれた後なんです」

「フラれた…後?」

「告白すれば…間違いなくフラれるでしょう。それはそれで構わない…僕の気持ちを、きちんと伝えることさえできれば。でも…その後の黒岩さんと僕の関係の…保障は何もない!」

「んなもん、ある訳ないだろ!」

「だから…だから…言えない…言わないんじゃないですか!」

「でも…言いたいんだろ?」

「そうです!」

「…答えは、ふたつしかないんだ。言うのか、言わないのか…」

「違う!…言うにしても、言わないにしても…状況とか理由とか…」

「そんなの全然関係ない!…深い訳があって《言わない》のと、そうじゃなくて《言わない》のと、このふたつにどんな差があるって言うんだよ?…隆に何も伝わらないのは一緒じゃないか!」

 銀河は上を向いてワーワーと泣き叫んだ。

 大成は何の力にもなってあげられなかった。偉そうなことを言った割には、結局泣かせるだけ泣かせて、傍観者…少し情けなくなった。

 数分後、少し銀河は落ち着きを取り戻して、「普通…普通が…いいんです…。僕か…黒岩さんの…どちらかが…女だったら…こんなに悩むことはなかった…。もしそうだったら…間違いなく言います!言えます!…芽室さん、僕…異常なんですか?…男が、男を…愛するって…異常ですか?」

「人が人を愛するということは、素晴らしいことだと思うよ。きれいごとだけでは済まされない、様々な困難がそこにはあるだろうけど…。結果も、望ましいものばかりじゃあない。辛く切ない結末…残酷で悲惨な結末も…ある。それでも、人は…人を愛する。飽きも懲りもせずに、人は常に誰かを愛し続ける。どう逆立ちしたって…自分の正直な気持ちは誤魔化せない…自分に嘘はつけない…。銀河、お前は今、苦しんでいる。まだ、発展途上…過程…プロセスの真っ最中なんだ。苦しめばいいじゃないか!もっと苦しんで、苦しみまくれよ!隆への愛を貫いて苦しみ耐え抜くことが、銀河の生きる糧なんだろ?…答えを出すの、そんなに急がなくても、いいんじゃないか?」

「…め、芽室さんって…一旦どん底にドーンと突き落としておいて、その後からロープたらして助けてあげるタイプですよね」目を真っ赤にして銀河が言った。

「…かも…しれない。まず悪人になって可哀相な状況を作り上げておいてから、フォローして善人ぶる、みたいな…」

「で、優越感に浸るんだ!やっぱり、性格悪ぅーい!」銀河は腫れた目で笑って、大成を指差した。

「…かも…しれない。人に頼られるってことが、全然なかったからなー。相談にのったり、アドバイスしたりするの、下手クソなんだよ、きっと。こんなんでよければ、いつでも話し相手になってやるぞ」

 充血した瞳がいっぱいの涙で再び満たされ、再び大成に抱きつく銀河だった。

 少し経ってからドアが開いて、「もう…さっきからギャンギャンに泣かせて…大ちゃん、うちの大事な銀河、あまりいじめないでよ!」隆が笑いながら入ってきた。

 銀河はピタリと泣き止んだ。

「お前なぁ…誰のせいで泣いていると思っているんだ?何も知らない癖に…」

「誰のせい?…あー、そっかそっか。ごめんごめん。大ちゃんに《恋のお悩み相談》してたんだ。それで今日…ちょっとおかしくなったんやな?…銀河、誰か好きな人がいるんや!」

「好き?…そんなもんじゃ足りない…愛しているんですよ!心から!」銀河は隆に思いっきり叫んだ。

「よしよし、いいぞ!もっと言ってやれ言ってやれー!」大成は右手の拳を振りかざした。

 鈍感であるが故に現状を把握できず、キョトンと立ちすくむ隆の太股を、銀河は両手で抱えて揺すった。《好きです!大好きです!愛しています!》声になることのない、そんな心の叫びが…大成にだけは届いていた。

【つづく】


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