オグるまだん吉くん OGUmen-STORY  
閉ざされたノンフィクション
〜秘密の封印〜

知内星護

第6話 笑顔と下痢

 銀河は今日、隆と一緒に名古屋インパクトセブンの練習に参加した。今は二月、Jリーグの試合はない。が、隆はオリンピック代表候補に選ばれている。そのため、明日から暫くチームを離れ、五輪代表チーム(Uー22日本代表)の練習に参加する。ちなみに銀河も、五輪代表候補である。Uー22の弟分にあたる、Uー20(二十歳以下の選手で構成される)日本代表での活躍が五輪代表監督の目に止まり、抜擢された。

 当然、銀河は喜んだ(Uー20からUー22に昇格したからではない、というのは言うまでもない)。銀河はサッカーが好きでサッカーをやっているのではない。隆がサッカーをやっているから銀河もサッカーをやっている。隆がサッカーが好きだから、銀河も隆が好きなサッカーを好きになった。サッカーではなく、隆の方が先なのである。

 銀河は、隆が所属する名古屋インパクトセブンに入団した。これは銀河自身の意思が強く作用したため、半ば必然的と言える。そして今度は、隆が選ばれているオリンピック代表候補に銀河も選ばれた。こればかりは自分の意思でどうにかなるものではない。本人も全く期待も予想もしていなかった、棚ボタ的ハプニング…。

「どうでした?オーストラリア合宿。僕はまだ卒業していないから参加しなかったけど…」

「大きな可能性が秘められとるチームだとは思うんやけど、まだまとまりがなくてバラバラで…。もっと時間が必要なんじゃないかな」

「疲れていませんか?オリンピックの練習と、チームの練習と…」

「疲れてない、って言えば嘘になるけど…どっちも自分のためやし、同時に両方のチームのためになれば…」

「どっちの方が大事ですか?」

「…どっちも大事だよ」

「…本音は…オリンピック一本に絞りたいんじゃないんですか?」

 隆は無言になった。ちょうど赤信号で、ブレーキを踏み込んだ。

「大したこと、ないじゃないですか。僕に比べれば…」

「…え?」隆はミネラルウォーターを一口飲んだ。

「自分の本音を言えないって、辛いですよね。黒岩さん、いいんですよ…僕には本音、言って下さい。それとも…本音を言えるのは、芽室さんだけですか?」

「…い、いや…そんなことない…と…思う…けど…」

「芽室さんに会って、まだ何日も経っていないんですよね?どうしてですか?芽室さんは、黒岩さんにとって、どういう存在なんですか?」

 アクセルを踏みつつ隆は答える。「…そんなこと考えたことないけど…」

「そもそも、どうして芽室さんをお手伝いさんにしたんですか?」

「…あの日は…」隆は記憶を辿った。「そう…オーストラリアのオリンピック合宿で結果を残せなくて…少し落ち込んでいて…苗園と畑西とカラオケ行って…久々にお酒飲んで…。楽しかったなー…。あれで随分楽になった…。結局朝帰りで…電車乗って…二人が下りてからフッと前を見たら…大ちゃんが座ってた。…ピーンと来たんや、その時。少し酔っ払ってたのもあったんやけど、何か話しかけてみたくなってさー。…何て言うたと思う?最初の一言」

「…判りません」

「《家出?》って言ったんや」

「家出?…初対面の人に?」

「うん…気ぃ付いたら、そう言ってた。…願望もあったんやろな、きっと。家出やったら、家にきてもらえるかなーって…」

「…それで、芽室さんは、プロサッカー選手のそばにいれば、食いっぱぐれることはないと…」

「いやいや、大ちゃんは僕がJリーガーだってことを知らなかった」

「えっ?…そ、そんな…そんなバカな…」

「でも、僕についてきた。そして、家中に散らかっていたゴミ山を見て…大ちゃん、怒ったんだ…《時間作って片付けろよ!》って…。でも結局、一緒に片付けてくれた」

 銀河は隆の笑顔を横から見つめていた。たまらなく大成が羨ましくなった。

「…もう、いいです。判りました」

「…どうした?」

「…いいんです、もう」

「…変だぞ」

「…何でもありません、気にしないで下さい」

「気になるよ!」

「気になる?…だったら、もっともっと、もっと!…気になって下さい!…僕のこと…気にして下さい…。芽室さんの半分でもいい、もっと僕のこと、気にかけて欲しい…」銀河は目をつぶってうつむいた。

 隆は銀河の言っていることがよく理解できなかった。「…銀河?」

「僕は…僕は…僕は…」言いたかった。銀河は隆に告白したかった。が、隆に《銀河は僕を愛している》という目で見られるのが嫌だった。それに、プレーに支障を来すという危惧もあった。サッカーでも、プライベートでも、気まずくなりたくなかった。告白して失うものはあっても、何も得るものがない。判っている。が、好きな人に《好き》と言えない辛さが銀河を圧迫する。突き詰めてそんなことを考え始めると、気が狂いそうになる。今、銀河はその一歩手前。

 隆は車を止めた。シートベルトを外し、銀河の肩に手を載せて揺すった。「銀河、銀河!おい、銀河!」

 ……僕は、黒岩さんの笑った顔が好き。僕は、その笑顔が欲しい。サッカーしている時や、芽室さんのことを話している時のような笑顔が欲しい。僕のために笑って欲しい…たったそれだけのために、僕はサッカー、頑張ってきた。独り占めしたい…だから…まるごと、黒岩さんが欲しい…欲しいけど、そんなこと黒岩さんは望んじゃあいない。だって、黒岩さんは、サッカーを愛している。僕は、黒岩さんを愛している…どんなことがあっても、黒岩さんには嫌われたくない…だから……。

「銀河!銀河!銀河!」

 銀河は我にかえった。「…く、黒岩…さん…」ゆっくりと目線を上げた。そこには隆の心配そうな顔があった。「黒岩さん…そんな顔、しないで下さい。笑って、笑って下さいよ…」

「銀河…何、言ってんだよ…しっかりしろよ…」

「早く…帰りましょう…。芽室さんの…大根カレーが待ってますよ」

「…そ、そうだな…」隆はシートベルトを再び着用し、ハンドブレーキを解除した。

「僕も…免許早く取らなきゃ。そしたら、このポルシェ、運転させて下さいね」

「…あ、うん…」隆はまだ不安だった。

「明日、自動車学校に行ってみよう。あ、合宿の方が早く取れるかな?…うん、合宿じゃないと四月に間に合わないな」銀河は、何か喋っていないとまたおかしくなるような気がした。隆に迷惑をかけたくなかった。

 

「…まあ、こんなもんかな」

「できたの?わーい!」

 大成はスプーンを直接鍋に入れて、味見をした。「…うん、よし!」

「私にも食べさせて!」里朝は足踏みをした。

「まあまあ、慌てないで。全員揃ってから」

「でも…随分手間かけたわよね。これだけやれば、美味しいと思う」

「時間と手間をかけることを惜しんでちゃ、美味しいものはできない」

「…ねえ、このカレー…兄さん…もう食べたのよね?」里朝は、大成と出会ってから初めて兄・隆の話題に触れた。

「…うん…大根カレーじゃないけど…」

「兄さんと…うまくやっていけそう?」

 大成は言葉を慎重に選んだ。「…まあ、色々あるけど…大丈夫だと…」

「私とのこと、どこまで聞いてるの?」

 大成は言葉に詰まった。

「多分、多分だけど…全部は聞かされていないと思う。事実としては、私は兄さんのお金で兄さんとは別の場所に住んでいて、兄さんのお金で大学に通っている…」

「大学?」

「そう、こう見えても医大生よ!」

「い…医者の…タマゴ?」

「意外?」

「うん!…あ、いや…そんなことない…」

「別にいいのよ。で、私は…兄さんのことが嫌い…」

「…電話で、そう言ってた…ね」

「でも私は…プーちゃんのこと、嫌いじゃないわ!」

「今まで…確か、お手伝いさんに嫌がらせして、追い出してたんだよね」

「そうよ…兄さんの邪魔するの、生き甲斐だったから。でも…プーちゃんは、違う…。あんな兄ですけど、宜しくお願いします…私が言うのも変だけど」

「里朝ちゃん…」大成は、兄妹の微妙な関係の秘密を知りたくなった。でもそれは永遠に閉ざされるべきノンフィクション…そんな気がした。二人が、そうするのが一番いいと考えたからこそ、明かさない。秘密を知っても少しも動ずることはない、何も変わらない…そういう自信があったとしても、それは単なる空想に過ぎない。

 数分後、隆と銀河が帰ってきた。

「ただいまー」隆がドアを開け、声を挙げた。

「おかえりー」大成が返事をした。そして、何も聞こえなかったかのように振る舞う里朝を一瞥した。

「あー、いい匂いやねー!」

 大成は玄関へ行き、隆に「あれ…銀河は?」

「…うん…、すぐに来ると思うけど…」

「俺、見てくるよ」大成はドアを開けて外に出た。出て、気付いた…隆と里朝を二人っきりにしてしまったことを…。…ま、いっか…兄妹なんだから…。

 大成は門の外で銀河を見付けた。「ぎ…銀河?」

 銀河は体育座りをしてうずくまっていた。「あ…、め…芽室さん…」大成の顔を見た銀河の瞳から突然、物凄い勢いで涙が流れ始めた。そして立ち上がり、大成に抱きついた。「芽室さーん!」静かな夜に、銀河の泣き声が響く。

 大成は訳が判らず、でも取り敢えず銀河が絡み付いた状態のまま門の中へ入った。「ど…どうしたんだよ…銀河…?」

 銀河は言葉を話せる状況ではなかった。

「泣いているだけじゃ判らないよ…おい、銀河!」大成は銀河の背中を叩いた。

 家の中では、兄妹の《対決》があった。

「あ…り、里朝…」

「兄さん、久し振り」

「里朝!話がある」

「私もあるわ…まっ、一応は、私のお兄様ですから…先におっしゃって結構よ!」細めた横目で刺すように隆を見た。

「大ちゃんに…嫌がらせするのはやめて欲しい!」

「ハハハハハ…」里朝は腹を押さえて笑った。

「何がおかしい!」

「そんなことだろうと思ったわ…。もし、私がそれを断ったら…どうする?」

 隆は里朝を睨んだ。

「どうすることもできないわよねー…あなたは、私に逆らうこと、できないんだから」

「そやから…こうしてお願いしているんやないか!」

「お願い、ねー…。土下座、できる?」

「土下座?土下座すれば、僕の言うこと、聞き入れてくれるんか?」

「やってごらんなさーい…。それから決めるわ」

 間髪入れずに、隆は床に膝をついた。

「ハハハハハ…。よっぽどプーちゃんがお気に入りなのね…」

「プー…ちゃん?」

「そうよ。プータローのプーちゃん」

「プータロー…?失礼やないか!」隆は、大成が《見下すな!》と言っていたことを思い出した。

「本人が、そう呼んでもいいって…」

「え?」

「心配御無用よ。私とプーちゃんは、もう…兄さんとプーちゃん以上に仲良くなっちゃったかもしれない…私も気に入ったわ」

「じゃ、じゃあ…」

「ま、そういうことよ」

 隆は満点の笑顔を浮かべた。

「随分嬉しそうね」

「…めちゃくちゃ嬉しいよ!」

「で、今度は私の番ね…。プーちゃん、私達のこと、凄く心配してるみたいなの。余計な気を遣わせたくないのよ…」

「…だから、どうするって言うんや?」

「プーちゃんの前では、私達、仲の良い兄妹を演じましょう!」

「…仲良く振る舞え、って言うんか?」

「そう!そうよ。それと…私達の、あのことは…絶対、絶対に!プーちゃんには言わないでよね…。尤も、兄さんが言う訳ないとは思うけど…」

「…判った。でも…本当にできるんやろか?仲良くなんて…」

「やるのよ!プーちゃんのために!…あれ?プーちゃんって…何て名前だっけ?」

「そんなことも知らんで…。大成、芽室大成。僕は《大ちゃん》って呼んでる」

「あーそー…大成か。それで《大ちゃん》なのねー…。私はやっぱり《プーちゃん》でいいわ。あ!あくまでも《演じる》のよ。私が兄さんに向かってニコニコと笑って見せても、決して許したって訳じゃないからね!」

「判っとるよ」

「私、断言してもいいわ。近い将来、私とプーちゃんは、共通の《敵》をつくるって」

「…それは、もしかして…」隆の表情が濁る。

「私は、プーちゃんと同じモノを感じるの。兄さんには絶対に判らないと思うわ」

「どういう意味や」

「これは、私とプーちゃんだけの《秘密》」

 隆は悔しかった。どうしても越えることのできないハードルの先に、大成と里朝が存在している映像が頭に浮かんだ。

「楽しみだわ、とても。待ち遠しいでしょ?ハハハハハ…」

 里朝の言いなり、全て思い通りにことが運ぶことになりそうな悪い予感がした。隆は下を向いてゆっくりと椅子に座った。

「今日のカレーは、きっと美味しいわ。さて、台本はないけど…お芝居の予行練習でもしておきましょうか?…お兄様!」

 場面は再び外へ。暖房の効いた所にいたために薄着だった大成は少し肌寒かった。銀河の体温がほんの少しありがたく感じられた。直後、このままじゃいけないいけない…と思い直して、自分の体に貼り付いている銀河の剥離を試みた。

「寒いからさ…中、入ろう…」

「待って、待って下さい!」銀河は大成の二の腕の袖を掴んだ。「言えなかった…言えない!言えないんです!…芽室さん!」

「言えない、って…何を?」

 銀河は大成の体を揺さぶりながら、「僕は…思いっきり大きな声で、この気持ちを…」

 大成は長引きそうな予感がして、手のひらを銀河の口の前に持っていって言葉を遮った。「よーし、よしよし。落ち着け落ち着け。後できちんと聞いてあげるから、まずは家の中に入ろう。な、な!」

 銀河の眉間に皺が寄った。そして自ら大成から離れた。「…芽室さんって…性格悪い!思いやりがない!」

「な、なんだよそれ…」

「僕、今…すっごくテンション高かったのに…。しらけるようなこと、して欲しくなかったな。状況を把握していれば、そんなことできないはずです」

「…よくもまあそんなに…態度をコロッと変えられるな!」

「芽室さん、もしかして…SEX中断してトイレに行ったこと、あるでしょ?」

「え…?…ないよ!やっている最中にトイレなんか行くか!それどころじゃないだろう!」大成は勢いで出た一言を恥じた。「…何言わせるんだよ…バカ!」

「僕は今、今!話を聞いて欲しかった!」

「…俺はなぁ…寒いんだよ!寒いの!」

「僕のこと、ホントに心配しているんだったら、ちょっと寒いの位棚にあげて、僕の話に耳を傾けるべきじゃないんですか?」

「…俺は…お前の話を聞きにここに来た訳じゃない!」

「見て下さいよ!ほら、涙!こんなに流して、一生懸命訴えていたのに…これはタダゴトじゃないなって…判るでしょ!?」

「判っても…寒いんだよ!」

「そうやって自分の事情を他人に押しつけるんですね…」

「…押しつけているのはお前の方じゃないか!…もう知らん!先にカレー食ってるからな!」

 大成が家の中に入ってからまた銀河は一泣きした。《きっとまた僕を迎えに来てくれる…》と信じて、その場に座り込み、ポツリと独り言。「急にひどい下痢になって…あの時はどうしようもなかった…。あれから僕は女性不信になったんだよなー…」

【つづく】


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