オグるまだん吉くん OGUmen-STORY  
閉ざされたノンフィクション
〜秘密の封印〜

知内星護

第5話 唇の吸着

 大成は今、自分がどういう立場なのか、よく理解できなかった。この時、隆との例の《トラブル》は頭の中からスポッと消え去っていた。「お…俺…悪いこと…した?」取り敢えず、大成は《責められている》ような感じがした。

「そうですよ!あなた…あなたが悪い!せめて…僕がここに来てから…あなたは黒岩さんに出会うべきだった。あなたの方が先に黒岩さんの家に来るなんて…」

「そんなこと言われても…俺、君の存在知らなかった…」

「判ってますよ!判ってる…もうあなたは、既成事実をつくり上げてしまった…」

「じゃあ、君は…俺に何が言いたいんだ?どうすればいいんだ?」

「そうですね…思いっきり、黒岩さんに嫌われて欲しいですね」

「嫌われる?」大成は一瞬脳味噌から欠落していた《トラブル》を取り戻した。

「あなたに…黒岩さんに嫌われる勇気、ありますか?」

「嫌われるのは構わないけど…君の指図を受けるつもりはない」

「…と、いうことは…僕の《敵》になる、ということですね?」

「敵?面白い。勝手にしてくれ」

「相手にしたくない、ってことですね」

「君とは関わりを持ちたくない」

「僕は…あなたが黒岩さんと一緒に暮らしている限り、ずっとあなたを恨み続けます。あなたのせいで、僕が黒岩さんの生活に入り込む余地が…狭められているのは確かだから」

 大成は銀河と敵対するつもりは全くない。が、あまりにも一方的で、相手が《逃げ》を認めようとしない。かと言って、銀河の要求(隆の家から出ていく)をのむつもりもない。結局、成り行き任せにすることにした。普通に振る舞おう、と。「俺…腹減ってたんだ。今頃思い出した。君は…あ、食べてきたんだね」大成は自分の部屋を出ようとした。

「あー、待ってください!」銀河は大成を大声で呼び止めた。「黒岩さんの…そばに行くんですね?僕も行きます」

「やりにくくなるなー…」わざと銀河に聞こえるように、大成は独り言を言った。そして次は正式に銀河へ話しかける。「でも、もう…いないんじゃないか?自分の部屋にいると思うけど…。あいつ、腹一杯だったみたいだから」

「黒岩さんに会いたいからじゃありません。あなたと黒岩さんを二人っきりにさせたくないんです」

 ゲーッ!という表情になる大成。「…そんなに、好きなのか?」

「好き、じゃなくて、愛してるんです!証明できないのが悔しい」

「へー、証明、できないのー?」

「…それって…挑発ですか?」ジロリと大成を見つめた。

 ヤバい!と大成は感じて、慌てて首を小刻みに横に振るった。

 大成は、リビングに隆はいないと思っていた。その方が都合が良かった。あんなことがあった直後で顔を合わせたくなかったし、下手に会話しようものなら、銀河に睨まれる。が…現実はそう思い通りにいかないのが常。

「あ…」隆は《豪華な食事》をつまんでいた。「た、大ちゃん…こ、これ…美味しいよ!」隆は引きつった笑顔で言った。

 大成は、すぐにニコニコするつもりはなかった。銀河の手前、というのもなきにしもあらず、だったが…。わざと隆を無視しているかのように、「あーあ、腹減ったから食べよーっと」目線を隆に合わせないよう心掛けた。

「僕も…食べていいですか?」銀河は大成に聞いた。

「どうぞどうぞ。もう冷たくなってるけど」

 隆にとってはその一言の方が十分冷たかった。「大ちゃん…ここは…」

「銀河!」大成は隆の台詞を遮った。「…って呼んでいいよな?」

 銀河は突然の呼称に驚いた。「…い、いいです…」

 何でも良かった、話題は。とにかく隆に話しかけられたくなかった。「銀河も、ここに住めば?」

「え?」銀河は更に驚いた。

「ここ、部屋、まだ空いてるし…。同じチームだし、何かと便利じゃない?なーんて…ハハハ!」大成は、俺ってバカなこと考えついたなーと思った。

 隆は大成がまともに話を聞いてくれないことを悟り、自身も大成の話を聞き流すことにした。

 ただ一人、マジになっていたのは銀河。「そ…それは…とても…」

 銀河の様子の変化を察知して「銀河?お前…まさか…真に受けたんじゃ…」大成は嫌な予感がした。

「とても…嬉しい!黒岩さん!!」

 隆はうつむき加減だった顔を上げて、銀河を見た。「…え?」

「僕…ここに住んじゃ、駄目ですか?」

「だって…確か、寮に入るんじゃ…」

「寮、やめます!お願いです…黒岩さん!」

 隆は不意に大成を見た。大成は隆に向かって首をオーバーに振って見せた。隆は少し嬉しくなって笑った。大成はその笑顔を見て安心した…意思が伝わったんだ、と勘違いした。

「ええよ!」隆は笑ったまま答えた。

 安心を打ち砕かれた大成は開いた口が塞がらなかった。

「ホ…ホントですか?嬉しー!!」

「二人よりも三人の方が楽しそうやから…」

「ごちそうさま…」食欲を一気に失った大成は再び部屋へ引きこもることにした。

「芽室さん!」銀河は大成を呼び止めて、頭を下げた。「ありがとうございました!」

 大成はそんなことを感謝されたくはなかった。扉の閉まる音がしてから数秒後、隆は椅子を立った。

「…ま、いっか…」銀河は、隆と大成を二人きりにしたくはなかったが、見逃すことにした。ずっと隆と一緒にいられるという《余裕》の証だろう。

 隆はノックして、大成の部屋の中へ入った。

「どういうつもりなんだよ!」大成はいきなり激怒。「何で…銀河がここに住むこと、許したんだよ!」

「だって…大ちゃんが…部屋空いているからって…」

「そ、そんなの冗談に決まっているだろ!そんなことも判らないのかよ!」

「嫌…なの?」

「え…?」

「そんなに嫌なら…断ってもええよ」

 大成は自分を《あまのじゃく》だなぁ…と思った。「あ、ごめんごめん…。ここは、お前の家だもんな!どうもすみませんでした。あなたのおっしゃっていることは全て正しいと存じます!」

「そんな言い方、しなくても…」

「嫌になったか?俺のこと。追い出してくれても構わない!あいつもそれを望んでいる」

「…あいつ?」

「お前ともやっていく自信、ない!」

「大ちゃん!…僕の話も聞いて!」

「大切に…してやれよ、銀河のこと。チームメイト…なんだから…」

「大ちゃん!…出て…行くの?」

「ここには…俺の居場所は、もうない…」

「撤回する!ここは…僕の家だけど…大ちゃんの家でもあるんや!」

「…へ?」

「悪かったと思っとる…謝る。でも…僕の知らん人、無断で家に入れるのは…困る!」

 大成は敢えて反論しなかった。

「豪華な食事…とか言っておいて…忘れたのも…謝る。大ちゃんに無理言ったことも…ごめんなさい」

 大成にはそれだけで十分だった。…俺の負けだ…。どうしても素直になれない自分に苛立ちを感じた。限界が見えた…。大成は少し笑いながら「迷惑かけたな。明日から、またプータローに戻る…」

「え!そ、そんな…」隆は唇を噛んで大成を注視した。

 沈黙の中、ノブのガチャッという音が響いた。ドアが開き、銀河が現れた。「芽室さん!今日、芽室さんの部屋で寝てもいいですか?あ、黒岩さん!布団、ありますよね?」

 隆は突然の割り込みに驚いた。「あ、あるけど…」

「芽室さん、いいですよね?」

「…ど、どうして…俺なんだよー?」大成は口を尖らせた。そして右手を銀河の耳元に当てて小声で囁いた。「夜の《お伴》は…隆の方がいいんじゃないのか?」

 銀河は大成の額を思いっきり押した。「や、やだなぁ…何、考えているんですかぁ〜?襲ったりしませんよ!」

 大成は後頭部を強く打った。「いってーなーもー…。俺、お前と寝るの、嫌だ!」

「《お前》って…呼んでくれましたね?…嬉しー!!」銀河は大成に抱きついた。

「バ、バカ!相手、間違えるなよ!」

「仲、良いんやね…」隆はその一言を残し、大成の部屋から出ていった。

「芽室さん…僕、嬉しかった…。黒岩さんに《銀河を大切にしてやれよ》って言ってくれたこと。ひどいこと言って、すみませんでした」

「…聞いてたのか?」

「僕、作戦変更します!黒岩さんの一番近くにいる芽室さんと、仲良くして…黒岩さんに…もっともっと、近づきます!」

「俺は明日…」

「出て行くなんて、許しませんよ!」

「お前の指図は受けない!」

「芽室さん!あなたは…必要なんです!この家にも、黒岩さんにも、そして…僕にも!」

「…あ?」大成は眉をひそめた。

「黒岩さんが、芽室さんを信頼しているの、判るような気がします。意地っ張りだけど…思いやりがあるんです、あなたには」

「そんなオダテにはごまかされないぞ!」

「お願いです!ずっとずっと、僕達のために…ここにいて下さい!」銀河は土下座した。

「さっきまで《敵》だったお前の言うことなんか、信じられるか!…証明しろ!証拠を見せろ!」

「証拠…ですか?」銀河は目を潤ませて、口をキリッと引き締め、大成をジッと見た。そして立ち上がり、両手で大成の頬を強く挟んだ。

「な、何だよ、何する気だよ…?」

 銀河の口が大成の唇に食らいついた。一瞬の速攻だった。

 大成は呼吸の方法を忘れて苦しかった。手のひらで床をパンパン叩いた。

 ゆっくりと吸着を解き、銀河はニコリと笑った。「これで…いいですか?」

 大成はハーハーと呼吸を整えつつ、呆然と「…はい」

「やったー!ありがとうございます!ヤッホー!!」銀河は拍手した。

 大成は銀河の恐ろしさを身をもって思い知ったような気がした。とんでもない奴と一緒に暮らすことになった、と。

「黒岩さんが駄目だったら…芽室さんでもいいなー!」

 大成は銀河に背を向けて、舌を出した。苦い薬を舐めたような顔をして…。

 隆が布団を持って入って来た。「銀河、これでええか?」

「あ、すみませーん!」銀河は布団を受け取った。「黒岩さん!芽室さん…ずっとここにいるって!」

「え?」隆は大成の背中を見た。「た、大ちゃん…ホンマ?」

「ホント…ですよね?」銀河は後ろから大成の両肩に手を置いた。

「…今度からは、予告しないで出ていくから、そのつもりで…。予告しちゃうから、引き止められて…決心が揺らぐんだよなー…。」

「じゃ、じゃあ…」隆は大成に駆け寄り、大成の左手を握った。

「明日は、大根カレーだぞ!」大成は隆を見て笑った。

「…ええよ!上等だ!受けて立とう!」隆も笑った。

「大根?カレーに?…食べたーい!」銀河は大成の右手を握った。

 両手に花、ならぬ《両手にJリーガー》の大成は《アブナイ世界》の入口を垣間見たような錯覚に陥った。

「銀河、大ちゃんに、何したんだ?」隆は銀河の《お手柄》のプロセスを知りたくなった。

「は、ははは…大したこと、ないですよ。黒岩さんにも、して差し上げましょうか?」

「やめときなさい!」すぐさま大成は銀河を止めた。

「じゃあ、もう一度…芽室さーん…」

「やめろー!!」大成は立ち上がり、部屋を出ようとした。そして振り返り、「トイレ!」ニコッと笑った。

「銀河、ありがとう…」

「黒岩さん…」

「銀河のおかげだ」

 甦った隆の満点の笑顔を見れたことが銀河にとっては何よりも嬉しかった。最愛の人の瞳は気のせいか、キラキラと輝きを放っていた。作戦変更した甲斐があった…。「黒岩さん…四月から、宜しくお願い致します!」

「こちらこそ…」

「サッカーでも…プライベートでも…黒岩さんと一緒にいられるなんて…嬉しーなー!」

「ハハハハ…」隆は上を向いて笑ったが、銀河の台詞の本当の意味を知らない。

 次の日、さわ子の病院に行き、大成は笑子に昨晩の出来事を全て話した(男に唇を奪われたこと以外、全て)。

「じゃあ、私…帰ったのは正解だったのねー」

「ごめん。申し訳ない」

「芽室さんが謝ることないわー。黒岩くんだって、判ってくれたんだし…。でも…言われてみれば、そうよね。サポーターとして、行き過ぎだったわ。黒岩くんの妹さんに、また怒られちゃう…」

「ヘボ女の話はしないで!」さわ子は掛け布団を強く掴んだ。

「今日は、大根カレーなんだー!」

「えー?いいなー…私も食べたぁ〜い!あわわわわ…」

「芽室くん…今度、私達のためにカレー、作ってくれない?」

「いいけど…食べていいのか?」

「病院の食事、まっずいんだもん。早く退院したいなー…」

「あ、あわちゃん…住む所、見つかった?」

「うん、一応ね。ここのすぐ近くのマンション」

「マンション?リッチだねー。一箇月、いくら?」

「芽室くん…賃貸じゃないわよ。買ったの!」

「へ?…買った?…マンションを?」大成はさわ子の言ったことをすぐには信じられなかった。

「さわ子のお父さん、マックスパクターの日本支社の社長なの」

「いー!う、嘘ぉー…マックスパクターって…あの、化粧品の?」

「そう。だから私、化粧品はさわ子からタダでもらえるから…助かっているの」

「芽室くんも、使う?」

「お、俺は…使わないよ。あ、でも…」大成は、銀河は使うのかな?とほんの一瞬だけ、思った。銀河は世間一般では《同性愛者》と呼ばれている。まだ偏見の眼差しを避けられない存在であるが、大成は銀河をそんなふうに見てはいなかった(確かに、少し恐い奴だとは思っているが…)。銀河は、隆を愛している。純粋に、ひたむきに。愛した人がたまたま男性だった、というだけの話。それ以上でも、それ以下でもない。異性を愛さなければいけない、と誰が決めたのだろうか…。《オカマ》というよりはむしろ《ホモ》という呼び方の方が相応しい…よって女装はしない…「い、いや…使わない、よな…。ハハハ…」

「男性用のも、色々あるわよ。ヘアムースとかコロンもあるし…あ!黒岩キュンなら…お洒落だから、きっと使ってくれるわ!今度、黒岩キュンに持っていって!で、芽室くんも一緒に使えば?」

「あ、うん…ありがとう…」バカなことを想像してしまった自分が恥ずかしくなった大成。

 カレーの材料の入った袋を携えて、大成は《我が家》へと帰って来た。

「あ!ね、もしかして…あなた、プーちゃん?プーちゃんでしょ!アハハハ…嬉しい!宜しくね!」彼女はその袋を無理矢理手放させて、大成の手首を握って上下した。

「…も、もしかして…えーっと…里朝、ちゃん?」

「そーよ!私、黒岩里朝!」

 二人の初対面。大成から見た里朝の第一印象は…あのワイルドな兄に全然似つかず、清楚で、意外ときれいな女性だなぁ…。

 里朝は買い物袋の中を覗きつつ、「あれ?今日は…カレーライスかな?サラダも作るんだ。大根も…サラダ?」

「い、いや…カレーに…入れるの」

「ゲーッ!やだ、大根を…カレーに…?不味そー!」

「そ…そんなことない!俺が作れば美味いんだって!」

「やめてよもー…。プーちゃん、カレーは…肉とタマネギとジャガイモが入っていればいいの!」

「チッチッチッ!」大成は人指し指を左右に振った。「カレーに関してはこだわりがあってね…。ま、黙って見ていて下さいな…。あれ?肉とタマネギとジャガイモ…?…ニンジンは?」

「キャー!やめてぇー!ずぅえっとぅあいぬぃー…入れないでぇー!」

「…嫌いなの?」

「…人間の食べ物じゃないわ!」

「人間じゃなかったら…じゃあ…俺は…何者?」

「…プータロー星人のプーちゃん!プープープー!」

 二人は笑った。大成にとってはこの上なく不思議なことであったが、あまりにも不思議であったため、不思議だとは全く気付いていない…当の大成本人が。大成には全く警戒心がなかった。相手が何を考え、これから何をしようとしているのか、何を企てているのか…そんなふうに考えることをすっかり忘れていた。大成にとって隆は最初《仮の敵》だった。敵でも味方でもなかったが、どちらかと言えば敵であり、正体がはっきりするまでは取り敢えず、暫定的に敵として扱われた。だが里朝は違う。最初から味方扱いなのである。

「今日、カレーかぁ…。ニンジン、入れないでねぇー…」

「夜、ここで食べるんだ!何か…ワクワクするなぁ…」

「やだぁ…プーちゃん、私に…一目惚れ?」

「…か、なぁ…」

 自然な雰囲気の中での自然な笑いが再び響く。

「自分の作ったモノで喜んでくれる誰かがいるっていうのは、幸せなことだよ。俺はカレーしかまともにできないけど…。誰でも作れるカレーだけど、《美味しい》…その一言で、俺のカレーは特別なカレーに生まれ変わる…。認められたんだもん。…俺さ、今まで人に認めてもらったこと、なかったから」

 里朝は、自分の世界に入って語っている大成の横顔をじっと見ていた。大成の言っていることがよく判るような気がした。そのまま受け入れて、同感できた。正体不明の、ぼんやりとした同じビジョンの中に二人は存在している…きっと、プーちゃんと私は、どこか似ている…そんな気がした。

「里朝ちゃん、君をきっと、きっと!喜ばせてみせるから、楽しみにしていて!」

「うん!ニンジン…」

「入れるよ!」

「え?」

「俺のカレーには、ニンジンが入っているんだ!決まっているんだ!当然のこと…。大丈夫、俺、自信ある!…食べてくれるよね?」

「…あまり気が進まないけど…食べてみるわ!」

「よーし決まり!」

「私も手伝うわ!」

 この時点において、隆と里朝の間にある《溝》は、大成には無関係だった。無関心、ではなかったが…自らその秘密の封印を解こうという意思はなかった。

 その直後、二人は涙を流した。勿論、タマネギで…。

【つづく】


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