OGU面冠者
2002.02.25 小倉隆史選手 応援HOMEPAGE 冠者134

真/偽・多数/少数・恥/武器
−少数派、大志を抱け!−

ホンモノ・ニセモノ 2
 「オレは一定レベル以上のモノじゃなきゃ受け容れない」...“好きになる”ってそういうことじゃあないだろう。未完成・不出来・発展途上であるが故、それが“魅力”に化けたりすることもあるではないか。.....
 主観に自信のあるヒトって、自分の価値観が“世界標準規格”とか思い込んでいたりするからタチが悪い。得てして、ホンモノを見極める能力に日々磨きをかけていると自負していたりなんかもするし...んでもって、「ワールドワイドなモノサシをオレは持っているんだぜぇ〜」的態度...「良い悪いはオレ様が判断してやるぜぇ〜」的態度...。何でもかんでもそれに当てはめてみて、“規格外”は一切認めない...度が過ぎると、その“規格外”を支持する人達までをも否定せんとする...嗚呼、何てチャチで悲しいモノサシなんだろう。.....
 My Sweet Prejudices... 「私の愛しき偏見達」の意味するモノは、もしかしたら↑こういったコトに対する一種の叛乱だったりするのかもしれません。
 ...良し悪しの査定・評論だけはあたかもプロ級、けれども結局「口だけ」→自力で何ひとつ創り出すことはできない→知識と理論で武装して、己の実力の無さを覆い隠して生きている人物△△(が存在すると仮定)...そんなニセモノを支持してしまうヒトも確実に存在するから、ちょこっと頑張れば就けちゃいそうな△△的ポジションを目指して、“お手軽優越感”に浸りたがるニセモノが更に繁殖してしまったりもする訳で...。
 「○○って良いよねー...だって△△も良いって言ってたしぃ」←あぁぁぁぁー...こーゆーの、反吐(へど)出そう...。
 そーじゃなくて、やっぱし「△△が良いと言おうが悪いと言おうが、私は○○を支持します!何故なら○○が好きだから!」的姿勢・主義主張を大事に、大切にしていきたいんです!
 勿論、世界的に評価されている“ホンモノ”を好きになったりすることもありますよ。でもそれは「レベルが高いから」でも「みんなに評価されているから」でも、決して無い。私が日々追い求めているのは、自分にとっての“ホンモノ”なんです。
 「良し悪し」ではなくただ単に「好き嫌い」で語り合えたらもっともっと楽しいはずなのに...自分にとってのホンモノが、世界のホンモノとズレていたとしても、堂々胸張って「好きです!」って言っちゃえばええやん。...ま、私もこんなポリシー持ってるから少数派に属することが多いんですけどね。多数派ってつまんないんですよね...多数派を装った方が楽に生きられることはものすご〜くよく理解できますし、敢えてそういう道を選択した経験もありはしましたが。
 ↑....ホンモノ・ニセモノ云々ネタって以前書いたことあるよーな気がしたので、遡ってみたら...
やっぱ書いてましたね>冠者120 ...まだこの頃って「名古屋グランパスエイト」所属だったんですね...。
 ↑で言うところの○○って、小倉隆史を想定していた訳ではないんですけど...ま、置き換えられなくもないかな。《2002.02.20 BGM「わすれものばんちょう」Dreams Come True》
“秀でた能力”を持つ“少数派”の憂鬱
 昨日(2002.02.19)、イラストでも肖像権侵害認める判決出ちゃいましたね...。それはそれで時間をかけて審議されたひとつの結果ですから構わないんです。...が...「イラストを載せる場合も許可得ろよ!」とか言い出すヒトが出てくるんじゃないか?ということを危惧せずにはいられないんです...。
 諸権利を保護するのは大切なことだとは思いますけどねー...なんていうのかなー...何でもかんでも目くじら立てるんではなく、ちょこっと位は「見逃してくれよ!」「オオメにみろよ!」みたいなトコも正直あるんですよねー...。人権尊重の名のもと、世の中の流れ的に見て「表現の自由」がどんどん制約される方向に向かっています...。全てを枠にはめようとしたりするんで無しに、全てを法のフィルターに通して判断しようとするんで無しに...個々の具体的事情を総合的に鑑みて...んー、これもやっぱ、キレイゴトでしかないのかなぁ...。
 飲酒運転って禁止されてますよね。でもこれって「一般的に飲酒して運転することは危険だから」でしょう?もしも、ですよ...アルコール分解能力が普通のヒトの100倍以上あるヒトがいたとして...日本酒一升飲んでも自動車運転や精神状態に何ら支障を来たさないコトが証明されたとしたなら...“飲酒運転OK免許証”が発行されちゃってもいいんじゃないか?と思うんですよねー...。視力検査同様、アルコール分解能力検査とか、すればええやん!視力のあるヒトは眼鏡かけなくても運転できるんだから、酒にすげぇ強いヒトが酒飲んで運転することを認める余地、あるんじゃないのぉ?
 ...今の世の中って、運転者の99%のヒトが近眼になったりしたとしたら、運転者全員に眼鏡かけることを義務付けたりしたくなるヒトが出てきそうな感じなんですよねー...。
 ↑これはちょっと極論ですけど...「殆どのヒトにとっては危険だから、一律、全員、禁止(もしくは強制)にしよう!」っていう考え方は、特定の“秀でた能力”を持つ“少数派”にとって、迷惑千万極まりないっすよねぇ...?
 ...逆に、20歳以上でありながら、酒に超弱いヒトがいたとして(これは確実にいますよね?)...運転する・しない以前に、日本酒をお猪口に注いだ時点で現行犯逮捕、とか...いや、覚醒剤同様、「酒類不法所持」もアリだな...がはは。《2002.02.20 BGM「見逃してくれよ!」小泉今日子》
“恥”ではなく“武器”なんだゾ!的「生きていく強さ」
 「法の下(もと)の平等」とかよく言いますけど...これって必ずしも、全国民に対して同じコトを強要(禁止&強制)したり、同じ分量を分け与えたりすることではないんです。一人ひとりに対して「なされるべきフォロー」が異なってきて当然なんですから...。
 飢えている人間が100人いたとします。100人に対して同じモノ・同じ量の食糧を配分しました...これは全然、平等ではありません。...赤ちゃんと、育ち盛りの10代や、働き盛りの20代以上とでは、「食べる量」も「食べるモノ」も異なるからです。
 税金...収入の多寡に拘わらず、みんなから同じ額を徴収することが「平等」ですか?(いわゆる「人頭税」のようなもの)...↑で述べた“個々の具体的事情”とは、そういったことを指し示します。
 一人ひとりをじっくり見ながら良し悪しを判断するのって「面倒」なんです。面倒だし時間がかかるから「一斉に禁止(強制)」する規則を作りたがるんです。取り締まる側としてはその方が断然楽チンなんです。
 一方で...本来取り締まられなくても良いトコまで禁止(強制)されてしまう...という、マイナス効果が生じてきます。マイナスにならずに済むようなフォローが絶対不可欠なはずなんですけど...ここらへんが充分に審議されないまま、見切り発車的に法が施行されちゃったりするんですよねー...ったく。
 大多数にとって喜ばしいコトっていうのは、もしかしたら極少数にとってこの上ない悲劇だったりするものなのかもしれません。大多数=「公共の利益」なんていう言葉で表現されることもあります←聞こえは良いんですけどね...。
 能力の劣る人達に手を差し伸べたり、保護したりすることのは当然のことです。だったら一方で、能力の秀でる“少数派”の価値と存在意義を公的に認め、彼等にとっても住み心地の良い社会を目指すことだって、当然アリでしょう!
 いわゆる「ふつうのヒト」と異なるコトっていうのは、決して恥ずかしいことではないはずなんです。“恥”ではなく“武器”なんだゾ!的「生きていく強さ」さえあれば...プラス、“個性”を“尊重”し得る社会環境...一人ひとりが“個性”=「ヒトと異なる良いトコ」をガンガン向上させていくことを目指しつつ、生きていく道を模索していけたらなぁ...なんて思います。...巧く表現できませんが、何となく察していただければ幸いです。《2002.02.21 BGM「わがままな片想い」松田聖子》
あぁぁぁぁ
あぁぁぁぁ ...2001年12月15日撮影/加工:しりうちせいご
応援と迷惑
 ogumen.comは、小倉隆史本人と何らコンタクトを取ることなく、私自身が好き勝手、やりたいようにやっているだけのサイトです。ogumen.comの存在自体が本人にとって“有難い”のか“ウザい”のか...あまり気にしたことはありません。(オグるまだん吉くんの似顔絵に関しては本人「めっちゃ似とる」と認めているらしい...だはは)
 万が一、OGU面冠者が本人公式・公認サイトになったとしても...目一杯自己表現できるスペースは確保したいなー...。もっと言っちゃうと...小倉隆史本人そのもののお役に立ちたいからサイト運営している訳ではいないんです。あくまでも、私の彼に対する「恩返し」でしかなく、その見返りは求めない...誰のためでもない、私自身のために時間と金と労力を注ぎ込んでいるんです。自己責任&自己負担&自己満足...。
 
小倉応援掲示板が荒れた時期がありました。そのきっかけとなる発言を即削除することは簡単でした。でも私はそれを敢えてせずに、暫く「様子見モード」...。
 確かに一見見苦しくはなるんですけど、こういったハプニング・トラブルを経験し、乗り越えてこそ、応援サイトの管理人だろう!と。こういった出来事は得てして“問題提起”になったりもしますし。
 自分自身で「応援」と確信しているモノが、他のヒトにとって「迷惑」と解釈される場合があります。ogumen.comの場合、私自身が「少数派」に属する場合が多いため、「応援」の解釈・許容範囲に関しては幅広〜く認めようという主義だったりします。←こういうふうに思えるようになるまで、色々あったんですよぉ...そこらへんの成長過程はOGU面冠者に、しっかり記録として残ってます...。→冠者31→冠者32→冠者42→冠者100→冠者122等...
 私が間違いなく自信を持って言えるのは、自分自身が「迷惑」だと感じた行為。「まわりの人に迷惑」とか「世間一般で普通、迷惑」とか...そんなふうになってくるともう「憶測」でしか言えなくなります。...小倉隆史が迷惑かどうか?なんて、小倉隆史じゃないんだから、もう憶測ですらも、わかりません。
 応援に正解なんてものは、ないんです。「こうあるべきだ論」になることもありますけど...ましてや、○○選手はあーだこーだで○○選手より○○選手の方が...なんていう個別具体論でスタンスの異なる相手を言いくるめるのが応援でもないだろーと。でもそれが応援と思っているヒトがいたとしても、Webマスターとしては受け容れていかなければいけない...何故なら同じ小倉隆史を応援する“同志”なのですから。
 ...とはいえ、こう筋書き通りにいかないのがサイト管理の難しいところでありまして...結局、リアルタイムで発生した問題に対してはケース・バイ・ケース、己のポリシー・信念に基づいて対処するしかないんですよねー...。外から見ると私の行為は「矛盾だらけ」かもしれませんが、私に言わせれば、日々の出来事「例外だらけ」なんです...だからこそ、なるったけ多くのコトを経験していく必要があるんです。
 取り敢えずの、ひとつの結論:応援と迷惑は紙一重...応援行為は時として他の誰かを不快にする。だからこそ「応援はどうあるべきか」を常に見極める必要がある...。《2002.02.24 07:50 BGM「かしこ」うしろゆびさされ組》
応援と偽善者
 某サイトの某掲示板で、管理人の「意思表示の自由」を阻害するかのような投稿がありました。「表現の自由がどんどん制約される方向に向かっている」ことを憂う人間の1人としては、「どこからが誹謗中傷で、どこまでが誹謗中傷じゃないか」でちょっとモメる予感がしたので、もしかしたら余計なお世話(=迷惑)かなーと自覚しつつも、自分の考えを投稿せずにはいられませんでした。
 ...その掲示板の管理人が「偽善者にはなりたくない」とおっしゃったんです。...つまり、「信じてる」「頑張って」だけ言う応援はしたくない、と...。
 小倉隆史ファンの場合、「信じて待つ」ことしかできない時期もあったりしたんで...そういう時に、何をしていいのかわからず、取り敢えず自分の思い・願いを「頑張って」の一言に託すことしかできなかった、というヒトも多いのではないでしょうか。
 復帰はしたけど“復活”はしていない...という時期になっても「頑張って」というセリフは有効でしょう。しかしながら、必ずしも「頑張って」が相応しくない場合も、確かにあるんですよねー...。だとしても、「頑張っては応援じゃない!」「いや、応援だ!」でモメるのもどーかなーと...。
 「頑張って」すら言わず、心の中で祈ることだって、応援でしょう。勇気を出して「応援してます!」と意思表示した途端、本来同志であるべき仲間に、応援か応援じゃないか、認められなければいけない訳ではないでしょう?応援している自分を仲間に認めて欲しいから応援している訳ではないでしょう??
 自己表現・意思表示...それを周囲から(客観的に)受け容れてもらいたいという気持ちは確かにあります。「それ、間違っているんじゃない?」と言ったり、シラけた目で見る人間なんて、大勢います。その一つひとつに対していちいち応対・否定している時間なんか、無いんです。「意思表示する勇気」と「意思表示しない勇気」の使い分け、とでも申しましょうか...。
 「頑張れ」というセリフに重みが無い、とか、無責任...なんていう先入観(レッテル)が存在するのかもしれません。勇気を持って意思表示することができたなら、同時に、自分に“自信”を持つべきです。自信を持って「自分の考え」を述べる。自信を持って「頑張れ」と言う。自信を持って「頑張れ」を言わない。自信を持って応援対象を「信じる」。自信を持って応援対象を「否定する」。自信を持って応援対象を「応援する」。.....
 ...偏見を持つ者は、別の偏見と戦う者だったりもします。偏見を持つ以上、他者を否定することは必然=避けては通れない道。これは偏見を持つ者にとって宿命でもあります。確固たるポリシーと人生経験で自分に磨きをかける。自分を高める。何もわかっていないことを自覚しないまま「わかったような口を利く」奴なんかテキトーにあしらって「わかった振り」を装って誤魔化しとけばいいんです。例え偽善者のレッテルを貼られようとも、自信を持って剥がしにかかるか、自信を持って「貼りたい奴には貼らしとけばいい」と開き直るか...どっちもアリ!でしょう。《2002.02.24 10:40 BGM「淡い紫のブライトライツ」河合その子》



back to OGUmen-TOPageOGUmen-KAJA

Copyright © 1986-2002 OGUmen-COMpany
Seigo Shiriuchi All rights reserved.

E-mail : ogustar@ogumen.com