情報源:Number(425号/1997.8.18発売)
※小倉隆史発言部分を引用
絶対 小倉隆史
皆さん、こんにちは。知内星護です。
最近ここでは控えていましたが、久々に自分の言葉で話をさせていただきます。
今さっき、うちの店に『Number』425号が納品されました。
小倉隆史を応援している方には、全文・原文を読んでいただきたく存じます。
私が小倉隆史を応援するようになったのは、五輪一時予選でGOALを決めた後
負傷退場をする3箇月前(1995年2月)からです。
私自身、色々なヒトにハマってきましたが、FANレターなるものを
出したのは(恥ずかしながら)小倉隆史が初めてです。
1986年から『ぐれいと』というミニコミ誌(新聞)を作成しています。
私立和光中学校出身の私が選んだ進路は、県立川崎北高校でした。
中学時代の3年間、親に経済的負担を強いて私が手に入れたものは、
ただものではない「おともだち」でした。
卒業後も彼等とずっと「つながり」を保ちたい…その手段が『ぐれいと』でした。
指定校推薦で神奈川大学に進学し、かけがえのない「おともだち」にめぐり会います。
そしてネット上で、当初は全く期待しなかった!?
素晴らしい「おともだち」が沢山できました。
もうそれだけで、私にとって小倉隆史という存在は“絶対”なんです。
彼を応援せずして私の生きる道はないと言っても過言ではありません。
しかし情けないことに、私はサッカーというスポーツを知りません。
それ以上に、小倉隆史を知らないんです。
国会図書館に行って蔵書を発掘しまくるという野望も
「時間がない!」ことを理由に頓挫したままです。
OGU面冠者は、“小倉隆史選手応援ホームページ”です。
OGU面冠者が本来の“姿”になるまでには、もう少し時間がかかりそうです。
私は今回のNumberを読んで、改めて小倉隆史の復活を確信しました。
2月23日、対アントラーズ戦…
小倉隆史「試合前、ケイロス監督から、
トップ下で自由にやれって言われたんですよ。
“一番好きなポジションやんか”って
喜び勇んでアップしようとしたら…
全然走られへん。それでも好きなポジションやから、
何とか誤魔化して試合には出たんですけど…
走れんどころか歩けもせえへん。
結局自分から“×サイン”を出さざるを得なかったんです」
無駄とは知りつつ、私は某パソ通でこれに関する議論に参加しました。
医療に関する知識がどれだけあるのかは存じませんが、
湧き出てくるのは「マイナス要素」ばかり…。
ほぼ同時期に私は自ら掲示板を立ち上げました。
最初は“サッカー色ZERO”だったにもかかわらず、
いつの間にか管理人たる私の意思が反映されて、
気が付くと「小倉隆史を応援しましょう!BBS」へ変貌を遂げていました。
自分好みの環境を自分で構築するしかなかったんです。
これは当然の帰結のようにも思えますが、実はとても悲しいことです。
相変わらず、今でも私は理想論が好きです。
「同じ球団を応援する者同志、きっと理解り合える」と信じています。
完全復活した暁には、「昔はそんなこともあったなぁ」と
笑い飛ばせるようになっていたいです。小倉隆史と一緒に…。
小倉隆史「プロのアスリートのヒザに
メスを入れるってことは、
選手の人生にメスを入れるってこと。
“日常生活に支障がなくなったらええ”
っていう普通の人の手術とは
まるで違うもんやと思うんです。僕はもういい。
幸いオランダに人脈があって、
手術も完全に成功したみたいやから。
でも、これからJリーガーの手術しよう
っていう日本のドクターには、
そのこと、絶対に覚えておいて欲しい」
私は、「何故痛くなるまで放置しておくんだろう?」って思いました。
それに対して、「球団・医療スタッフはよくやっている」という意見も聞きました。
小倉隆史は別に、執刀した日本人医師を責めることを意図して
こう述べたのでは決してありません。
(手術はうまくいったのに「小倉が焦って無理したから完治しなかった」と
思っている人も当然いるでしょうし。)
それでも私は、小倉隆史がそう考えている以上、
小倉隆史の台詞(ことば)こそが世の中で一番正しい!と断言します。
小倉隆史「静岡のインターハイで味わった、
味方の選手だけやない、
相手も含めた22人を、フィールド全体を
自分の左足1本でコントロールしとったって感覚が、
ここに、この足に残ってるんです。
あの感覚が左足に残っている限り、僕は自分を信じられる。
小倉隆史はこんなとこで終わる男と違うって、
心の底から信じられるんです。
何でサッカーなんて始めたんやろ、
俺って何なんやろって思ったこともありました。
でもね、今は自信をもって言えます。
一番信じられるのは、結局、自分なんやって。
今は、生涯最大の試練に立ち向かって、
それを何とか乗り越えようとしている時期や思うんです。
いつか“ああ、あの頃はしんどかったな”って
笑える日が必ず来るんです」