「疲れたぁー…。練習なんかよりよっぽとしんどかったぁー」
「もう…嫌だぞ。もうやらんぞ」
「僕ひとりでやっとったら…終わっとらんよなー」
「俺…やっぱり旅続けるわ」
「え…?」
「いて欲しい?」
「…い、いて…いて欲しい!」
「何で?ただ単に、使えるから?便利だから?」
「ち、違う!そんなんやない!な、感じない?こう、何ていうか…通じるもんがあるとは思わない?」
「あのねー…まだ初日だぜ。そんなこと判らない」
「判らない?否定はしてないよね。…ってことは、見込みあるんや!よかったー」
「その、何でも自分の都合のいい方に考える楽天的な性格、羨ましい…あやかりたい」
「あら?またきっついねー」
大成と隆は、性格を形に表現してふたつ並べてみると、凸凹である。不揃い。故に双方くっ付けても噛み合わず、隙間ができてしまう。激しい時にはお互いに欠けてしまう。そんなふうにして、これから二人は磨き合って、丸くなって、切磋琢磨コンビになっていくのであろうか。
……隆の家の中を片付けている間に、決まったことがある…。こんな会話があった。
「あのー…僕は、さっき言ったように、黒岩隆と申します。Jリーガー、二十一歳、男、独身。宜しくお願いします」
「…宜しくお願い…されていいのかなー…」
「もう…いいやん!ね、決定!」隆が拍手する。
「…どーも、心から喜べないんだよなー…」大成は腕組みをしてじらす。
「で、あのー…」
「あ?」
「な、名前…」
「名前?あ…」大成は自分のプライバシーを守ろうと必死だったため、自分の自己紹介をすることを忘れていた。「言わせるの?…俺?」
「は、はい…できれば…」
「…このまま失踪して、Jリーガーの《秘密》をマスコミに売ろうかなー」
「あ、あーそれだけは…やめて下さいお代官様!」
「俺を…お手伝いとしてここで働かせたい?」
「是非!お願い致します!」最敬礼する隆。
「…芽室大成、現在プータロー、二十四歳。川崎から家出、金はない」
「じゃ、じゃあ…」
「でも、ご多分に漏れず、いつやめるか判らないぞ。俺には捨てるもの、何もないんだから。君みたいに人より秀でた特殊能力なんか何もないし」
「やめられないよう、頑張りますので、改めて…宜しくお願い致します!」
隆が高飛車な奴だったら、さっさとここを去り、今頃別の場所へ向かっていたことだろう。プロサッカー選手…なろうと思ってなれる職業ではないにも関わらず、彼には《僕は選ばれし人間、お前とは違う》といった差別意識がない。大成は自分の見る目を信じた。(しかし実際には、大成はまだ隆の上っ面を見たに過ぎなかった。)
夜九時過ぎ、少し遅い夕食を摂りながら、
「ここで隆の留守を守っていればいいんだろ。衣食住に困らなければ、金は要らない」
「い、いや、きちんと給料払うよ!」
「要らない…その代わり…」やっと、大成は隆に自分の主張を述べるだけの発言権を得た気がした。
「俺を…俺をきちんと見て欲しい。芽室大成をきちんと芽室大成にして欲しいんだ」
「え?どういうこと?…僕、どうしたらええんや?」
「…こんなこと恥ずかしくて言いたくないけど…」大成は目に涙を溜めていた。そして言おうか言うまいか更に暫く迷って、隆に訴えた。「見捨てないでくれ!」
隆はびっくりした。明らかにそれまでの大成とは違うと感じた。「…そんな…僕から見捨てるなんて…」
大成は上を向いて話をした。「俺はいい加減にしか誰かと付き合ったことがない。親友はおろか、友達だっていなかった。独りだった。周りの人間はみんな敵だった」
少しの間、沈黙が続く。その沈黙をブレイクしたのは、やはり隆であった。
「僕が…味方になる!大ちゃんの、味方になったる!」
「たい…ちゃん?」そう言って隆を正面に見据えた瞬間、溜まっていた涙がポロリとこぼれ落ちた。
「そ、そう…大ちゃん!だって、芽室さん、なんて…言いにくいし、お互いにもっと近い関係になりたいんや。大ちゃんは、僕の《サポーター》やから」
「サポーター…?《お手伝いさん》より、その方が聞こえはいいな。片仮名職業の仲間入りだ!」右手で涙を拭きながら大成は笑った。
「サッカーを応援して支えてくれるファンの人達を《サポーター》って言うんや。大ちゃんは、僕の専属サポーターや!」
「…ありがとう」正直に嬉しさを表現する大成。
「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます…でも、さっきまでのきっつい大ちゃんの方がおもろいな」
「調子に乗ると…辞めるぞ!」
「そうそう、その調子!」
大成は隆に見下されていないと感じてから、隆に対して敢えて強気に出た。でもそうする一方で、不安もあった。賭けだった。隆に賭けていたのだ。立場は大成の方が断然低い。一歩間違えれば、お払い箱となる。最悪、それでもいいと思っていた。覚悟はしていた。そうなったらなったで、再び旅を続ければいい。でもいつの間にか、そう、たった一日で、《こいつだ!》と直感させる何かを隆に見出していた。最初に出会った時に感じていた、隆に対する嫌悪感は消え失せ、逆に隆への期待がどんどん膨らんでいった。少々意地悪なことを言っても、きっと受け止めてくれる。判ってくれる。とはいえ、心臓ドキドキものだった。心労の末、大成が得た暫定的結論は、《隆の前だったら、自分を出せる》…消極的だったからではなく(当然大成は概して消極的ではあったが)、単に積極的になれるシチュエーションや、積極的な、真の《芽室大成》をきちんとキャッチしてくれる人がいなかっただけだったのだ。積極的になれなかった責任を全て自分ひとりで背負い込む必要はない。隆のように、楽天的に、何でも都合のいい方に考えることだって、長い人生においては実は大切かつ重要だったりするのだ。
……隆の《大ちゃん》《味方》という台詞を、一生の宝として大事に胸の中にしまっておこう……大成の人生最良の日となった。
次の日、隆はチーム練習。大成にとっては留守番初日。隆は、大成と「行ってきます」「行ってらっしゃい」という極々平凡な挨拶をして、愛車《ポルシェ》で家を後にした。
「キャー!く、く…黒岩キューン!ちょ、ちょっと笑子!見て見て!」
「あわわー!見てるわよ!さわ子、もう少し落ちついたら?」
「うーん!黒岩キューン!プリティ〜!」
ガレージから出てくるポルシェを待ち伏せしていた女性が二人いた。帯広さわ子と淡谷笑子…二人は、名古屋インパクトセブンの熱烈なサポーターであり、かつ黒岩隆の熱烈なファン…《追っかけ》でもある。隆の家に来たのは今日が初めて。
「ちょこっとだけど、黒岩キュンのハンドル裁き、見えたよねー!」
「来て…よかったよねー、さわ子!」
「プリティ〜!プリティ〜!プリティ〜!」さわ子独特の喜びの表現である。
「石野真子じゃないんだから…ね、さわ子…写真、撮った?」
さわ子の興奮が一気に冷める。「…ゲロンパ!忘れた!もう…笑子!あんたが悪いのよ!バカモーン!」さわ子が拳で笑子にパンチした。
「痛ーい!人のせいにしないでよ!」
「ふん!すん!もういいわよ、許してあげるわ…また来るから。あ、あれ…誰?」
「え?どこどこ?」
さわ子は隆の家の門から出てきた大成を指差した。「ほら…あの男の人」
「…知らない。黒岩くんのお兄さんじゃないの?」
「何言ってんのよ。黒岩キュンにお兄さんなんていないわよ。妹さんならいるけど」
「じゃあ…友達?」
「そう…そうよ!ね、話しかけてみようよ!」今のさわ子は、怖いもの知らずであった。
「えー!できなーい…でも…話したいね!あわわわわわ!」笑子は《あわわわわ》と笑う。
「これから黒岩キュンの練習観に行くつもりだったけど…黒岩キュンのお友達とお友達になる方が有意義ってーもんよ。決まり!」
「でさー、あの人と仲良くなってー…もしかして黒岩くんとも…あわわわわわわわ!」
「やだー笑子、そんなこと言わないでよー…ギャハハハハハハハ!」
二人の未来予想図は、とても明るかった。
「迷惑なのよねー、こういうの」
それはあまりにも突然であった。背後から現れた一人の女性が、さわ子と笑子の笑顔を切り裂いた。二人は言葉を失い、ただ彼女の冷たい視線を浴び続けた。
「応援は、グラウンドの中だけにしてよ。こんなところまで押しかけて来て、恥ずかしくないの?」
さわ子の中で彼女の正体が判明した。「あ、あなた…も、もしかして…」
「サポーター、失格ね!」二人の心を深くえぐり取る台詞を吐いて、彼女は隆の家の門をくぐった。
暫く腕を組み、笑子は素直に自分の行いを反省した。「そ、そうよね…うん。こんなこと、しちゃいけないのよね」
「あの人…黒岩キュンの妹さんよ!」
「えーっ!」笑子の後悔が更に膨張した。「ど、どうしよう…」
「私達、別に悪いことなんかしていないじゃない。ただ黒岩キュンが自宅から出て来るところを見ただけでしょ。邪魔した訳じゃないし…」さわ子が唇を尖らせた。
「でもさー、やっぱり…私生活に立ち入ったってことになるんじゃない?」
「ふん!そんなことないわよ。嫌な女!黒岩キュン、あんなのが妹で、可哀相よ!」さわ子は電信柱を蹴飛ばした。
「あーあ、黒岩くんの妹さんに嫌われちゃったー。黒岩くんにも嫌われちゃう…このこと、黒岩くんに言うのかなー…外に変なのいたわよー、みたいに。黒岩くんもこういうことされたくないのかなー?」
「笑子!バカなこと言わないでよ。言いつける?上等だわ。そりゃ、家から出てくるところを捕まえて、サインせがんだり、写真撮ったりしたんならあの女の言うことも判ってやれないこともないけど…」
「撮ろうとしてたじゃない…忘れたんでしょ」
「撮ってないんだからいいの!小さいことゴチャゴチャ言わないで!」さわ子は笑子の足を蹴った。
「痛っ!もう…私、サッカーボールじゃないんだから…」
「それに、黒岩キュンはあの女の言うことなんか、まともに聞かないわよ。インパクトの選手はね、サポーターを大切に、大事にしているのよ!どこのチームよりも…特に、黒岩キュンは誰よりも…」
「でも…内心、嫌だなーって思うこともあるんじゃない?やっぱり私達、サポーター失格…」
「笑子!あんな女の言うこと、真に受けるんじゃない!」笑子の頭をポカポカと叩くさわ子。
ブツブツ言いながら青空駐車のミラーで髪形を整えて、笑子「ね、もう…行こうよ。ここにいても…」
「そうね…黒岩キュンの家には、あのクソ女しかいないんだから…とっとと離れよう!不愉快だわ!」大袈裟に腕を振り、膝を高く上げて早足にさわ子が歩き始めた。
「ちょ、ちょっとぉ…待ってよー!」
大成は隆からもらった一万円札をポケットに入れて、昨日酒を買ったコンビニにツケを払いに行った。隆が今日一日の生活費として大成に渡した一万円札である。ちなみに隆はツケたことを今朝、もう忘れている。
「いらっしゃいませ」
レジに立っているアルバイトらしき店員と目が合った。「あのー…昨日、ここで買い物をして、まだお金払ってないんですけど…」
「え?あ、あーもしかして…黒岩選手の…」
「は、はあ…」大成は右手を頭に当てた。
「店長!黒岩選手のツケ…」彼は店の奥に姿を消した。そして入れ替わるようにして店長が現れた。
「いやー、すみませんねー。あー!昨日…一緒にいた方ですよね?」
「は、はい…」
「一緒に酒飲みに行った時しか払ってもらえないんですよ。半年分位たまってるんですけど…初めてだなー、払いに来てもらうの。これが…請求書です…」
大成は請求書の数字を見て、目が飛び出そうになった。「…え…、こ、こんなに…」三十七万四千九百…飛んで二円。「あ、あのー…明日…、明日!必ず持って参りますので…今日はこれで…」福沢諭吉を店長に差し出した。
「ハハハハハ…そうでしょうそうでしょう。今日はいいですよ。いつでも…」
「そ、そうですか…助かります」現在の全所持金を失わずに済んで、少しホッとした。「それじゃ、明日、必ず持ってきますので…」
「あ、ホント無理しなくていいですよ。…隆ちゃんのことは生まれた時から知ってるし…隆ちゃんだったら大丈夫だから。あ、宜しく伝えておいて下さい。そろそろ飲みに連れてけ!って…ハハハハ。どうもわざわざすみませんでした…」店長は頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそすみません…」大成は更に深く頭を下げた。「買い物、して行きますので…」
請求書の数字を見た時、大成は腹立たしくなった。家の中を片付けていないのもしかり、だらしがないと思った。が、そうではなかった。店長は隆を理解し、信じきっているのだ。大成が隆と知り合ったのは昨日。一方このコンビニの店長とは、隆が生まれてからずっと、である。到底かなわない…。店長は、隆の成長ぶり・生きざまを知っている…隆そのものを知っている。そして隆も、遅れはするものの、ツケを支払う…確実に。店長と隆は、信頼関係という《絆》で結ばれている。大成がまだ誰とも結んだことのない絆で…。大成は隆のことを何も知らない、と言ってよい。隆の行動の《断片》は確かに《だらしない》様相を呈している。隆の中身を知らない人はそれが隆の全て、と《断定》してしまう。いや、隆は自身の中身を殆どの人に対して《公表》していないのかもしれない。お互いの心に通じる《絆のパイプ》を覗き合うことによって、店長と隆は相手の真の気持ちを知り、ひとつになる…。
隆自身、店長と《絆》があるなんて、考えたことはない。もはやそれが当たり前、そう、無意識のうちにいつの間にかそうなっていただけ。誰かが隆とそうなりたいと熱望してもその願いは叶えられない…例え隆を応援するサポーターであったとしても…。隆に心を許され、隆に理解され、隆に心を許し、隆を理解した、隆に《選ばれし》者のみが、隆と《絆》を結ぶことができる。更に、それらは全くの《無作為》でなされなければならない…。
考えてみれば、隆に限らず、それぞれの人に存在するであろう親友なんてもんは、そんなもんだ。親友は、お互いにとってお互いが、選び選ばれ合った少数派である。万人、ではなく、彼等だけ・彼等独特の関係…絆。その形態は様々、これぞ正統派!なんてものはない。親子・兄弟姉妹・恋人・夫婦・同僚・同志…反自然的人間現代社会では、自然的人間関係の存在を無視することが不可能である(実は矛盾している)。誰もが誰かとつながっていたい。相手のどこかに魅力的な部分を見出し、惹かれる。それは得てして自分にない部分であったりする。自分にないモノを持っている人を必死になって探し求める。自分に正直に生きれば、自ずとそうなる…人間はそういう生き物。
「あ、あの人…さっきの!」笑子が叫んだ。
「あ、あ、あー!」さわ子は興奮した。
二人は、隆がツケているコンビニ…大成が今買い物をしているコンビニにやって来た。そして大成を再び目撃した。
「ね、ね、友達なら…いいんだよね?黒岩くんに…迷惑かからないよね!」
「そ、そうよ…普通に、さり気なーく…それとなーく、何も知らないような素振り?うん…」さわ子は作戦を練った。
「どうする?近付く?」
「…暫く、様子を見よう…後をつけるのよ…」
「さわ子、それって…全然さり気なくないんじゃない?」笑子が突っ込む。
「し!静かに!もう賽は投げられたのよ!…たまたま、偶然、どういう訳だか行く方向が一緒なのよこれから!判った?」さわ子は笑子の両肩を掴んだ。
「…は、はい…頑張るわ…」
大成はサッカーの雑誌二冊と缶コーヒーを四本購入、店長とペコペコし合って店を出た。さわ子は何も買わずに、笑子はガムを買って、大成の後を追った。
「また…黒岩くんの家に行くのかな?」
「黒岩キュンはいないし…あ、あのクソ女がいるんだ!自分の家に帰るんじゃないの?」
「でもさ…黒岩くんが帰ってくるまで待っているっていう風にも考えられるんじゃない?あ…もしかして、黒岩くんの妹と付き合っているんじゃ…」
「バカモーン!あんなのに男をくっ付けようとするな!あんなイモクソ女に男がいる訳ないだろーが!この私にもいないのに…」
「それは…判るような気がする…」
笑子はさわ子のドリブル攻撃を受けた。
大成は彼女達の尾行に全く気付いていない。これから暫く《地元》となるこの界隈を散策、土地勘を身に付けたかった。駅・バス停・病院・スーパー・コンビニ…。が…大成は自分に重大なる欠陥があったことをこの時、すっかり忘れていた。…車の免許を、教習所に行きさえすれば遅かれ早かれ取得することは可能であろう。しかし、大成自身、車を運転することがあまり意味のないことだと考えている。それは…超が複数付く程の《方向音痴》だからである。
「あ…れ…?ここ…どこ?」自己の欠陥を思い出したが時既に遅し。コンビニを出てから十五分位しか経っていないが、超超超方向音痴が初めて出歩くのに《ひとり》はいただけなかった。「ど…どうしよう…」
「ね、急に立ち止まっちゃったね」
「ねえ…笑子…、今…私達ってどこにいるの?」
「…え…?だ、だって…知らないわよ…あの人についてきただけだもん」
路頭に彷徨う三人…。
……落ちつくんだ、大成。思い出すんだ。そう、確実に言えることは、こことさっきいたコンビニは道でつながっているということだ。《全ての道はコンビニに通ずる》道なき道を来た訳じゃない。コンビニへの道さえ明らかになれば、隆の家に戻れる。と、いうことは…ここと…隆の家も…ハハハハ!恐れることはない!確実に少しずつ記憶を呼び覚ましていけば…帰れる!…が…、待てよ…。今来た道の逆を辿る訳だから…、同じ風景じゃないんだよな…。裏の裏は表、逆方向の逆が正方向、つまり来た道と同じ風景。振り返りながら逆方向に歩いていけばいいんだ!が、問題は…覚えているのか?今見てきたであろう風景を…。周りを見ながら…最初のうちは見ながら歩いていたよな。でもいつの間にか、昼何食べようか、とか、隆はいつ帰ってくるのかなぁとか、…本当に隆の家に居続けていいのだろうか…そう、そうだよなー。俺、あいつに拾われたんだよなー…。拾われなかったら、俺、今どこで何してたんだろう…。紀伊半島、だよなー…。紀伊半島って、何があるっけ?…紀伊勝浦?そう言えば、昔、寝台特急が走ってたよなー。確か、切り離しして…名古屋でだっけか?廃止になっちゃったんだよなー。乗っておけば…あ、乗れないよな…小さかったし…金、ないし…。どうでもいいけどよ、廃止って、良くねーよな。ローカル線もどうしても廃止するってーなら、俺が一度乗ってから廃止しろよ。俺に《おうかがいをたてろ!》ってんだ。…あー、俺、何バカなこと考えてんだろう…こんな時に…。
「あの人…同じところグルグル回って、何してんのかしら」
「判らない…あの人も、ここも」さわ子の顔は青かった。
大成は幼い頃から、自分の世界を確立していた(せざるを得なかった)。自分の世界に引きこもることで、他人とコミュニケーションをとれない自分を安全へと導いていた。判らないことがあっても、決して人には聞こうとせず、自分で答えを探し求めた。時刻表を覧るのが好きで、自然と鉄道には詳しくなった。時刻表を基に創られた《オリジナル・セルフワールド》(和製英語?)の中で、時計を眺めながら旅をした(今、○○にいて、駅弁を買って、特急○○に乗り込むところです、といった具合)。彼の人生において、ひとりの時間というのは必須になった。人と話すことは勿論、人に話しかけられるのも嫌いになっていき、セルフワールドは拡張の一途を辿った。
……また悪い癖が出た。俺は、変わったんだ!旅の恥はかき捨て!よし、聞いてみようぞ。あ、あそこに女性が二人、いるじゃあないか!
「さわ子ぉ〜、こっち見てるよー」
「…笑子!勝負よ!」さわ子は決意を固め、しょげかけていた気を奮い起こした。そして大成の方に向かって歩き始めた。
「さわ子!ちょ、ちょっと…どうするのよ!」
一方、大成もさわ子の方に向かってツカツカと強く足音を立てて歩いていった。
そして二人はピタリと同時に立ち止まり、目線を合わせた。
笑子は近付けなかった。二人の緊張関係を離れて見守った。
その緊張は不気味な位、長く続く。口を開け、声を発する方が不自然な気さえしてきた。二人の思惑が錯綜するだけで、状況の進展が見られない。
「さ、さわ子…」段々怖くなる笑子。
今日は晴れている。春が近いのだろうか、少し暖かい風が対峙する二人には生ぬるく感じた。
大成は決心を鈍らせた。先に話しかけるのはそんなに難しいことではない。昨日と違うのは、大成が一言発することによって、相手が主導権を握る恐れがあるということだ。その一言が、大成の弱点を露にする…。
さわ子は、迷った。台詞が見当たらない。正直に、黒岩隆の家から出てきたことを知り、後をつけて来たと話すべきか。しかしそれではこの男に失礼ではないであろうか。目的は黒岩隆であり、この男自身ではない。大成は、さわ子と隆の《メディア》、つまり《仲介役》にしかなり得ない。いざ出陣してもなす術がなく、手をこまねいていた。
予想外の急展開を実現させた主は、ただの通行人、第三者であった。
第三者は、無言のまま見つめ合う二人に話しかけた。
「あのー…、ここらへんにコンビニエンスストアがあるって聞いたんですけど…どう行けばいいですか?」
当然、答えられなかった。が、さわ子は(自分も方向音痴であることを棚にあげて)おかしい、と思った。さわ子は大成がコンビニにいたことを知っている。なのに何故答えられなかったのか。もしかしたら、道に迷ってウロウロしていたのか?しかしさわ子はそのことを大成に聞くことができない。何故なら、大成の後をつけて来たことがバレてしまうから。
第三者の乱入により、二人の気が緩んだ。そして思わず、大成は告白してしまう。
「アハハハ…、さっきまで、コンビニにいたんですけどね…。道、判らなくなっちゃって…。アハハハハハ…」
「あ…、そ、そ、そーなんですかぁー。アハハハハハ!」大成の告白を受けて、さわ子も思わず笑ってしまった。
笑子は二人の笑いが謎だったが、とにかく自分が入り込む余地ができたんだ、と見做して、二人のいる所へ向かった。そしてさわ子が衝撃の一言を大成に浴びせる。
「もしかしてー…迷…子?…迷子!ギャハハハハハハハハハハ!」さわ子は大成を指差し、腹を抱えて大笑いした。
大成は昨日の隆との出会いが頭をよぎった。デ・ジャ・ヴ…歴史は繰り返される。返す言葉がなかった。笑子はさわ子の奇笑を軽蔑した。
笑子は申し訳ない気持ちで一杯になり、目の前にあった喫茶店でコーヒーでも…、と誘った。大成は無気力に、言われるがまま従った。
「どうもすみません。実は…私達も、道に迷ったんです」ウェイトレスが運んできた水をゴクリと飲んでから、笑子が打ち明けた。
「で、でもさー…まさか、ねー!ギャハハハハハハハ!」さわ子はそれでもまだ笑う。
「さわ子…あんた…」笑子はさわ子の太股を叩き、諭した。
「…いいんです。俺って、多分そういう奴なんです。きっとこれは宿命なんだ…」
「は、はあ…」笑子は意味が判らなかったが、取り敢えずうなづいた。さわ子はまだ笑っている。
「おととい、川崎から出て来たばっかりで…ここらへんのこと、何も判らないんです」
さわ子の笑いが止まる。さわ子と笑子は一気に独自の想像を張り巡らせる。大成に対する興味が沸騰する。目的は相変わらず《黒岩隆》である。しかしながらさわ子と笑子には《合意》がある…大成に黒岩隆関連の話をしてはならない。故意に黒岩隆の話題を避けなければならない。
「あ、あー、川崎なんですか。私達、昨日、東京…世田谷から来たんですよ」笑子が話を合わせた。
「あ、そう!じゃあ近いね。で、何でまたこんな所に来たの?」
笑子はさわ子と顔を見合わせた。「こっちの方に今度住もうと思って。二人で」
「東京からわざわざ…。家出?」大成は昨日の隆の台詞をそのままリサイクルした。
「ち、違います!《独立》よね!」
「そうよ!失礼な!」一番失礼なさわ子が怒った。
「あ、そ…。やっぱりね…じゃあ、こっちじゃなければならない特別な理由があるの?」
大成が何気なく感じた素朴な疑問だった。しかし二人にとって答えるのには非常に困る質問だった。黒岩隆の追っかけをするために、彼の自宅近くに住む部屋を探そうとしていた。別の答えを今すぐに考えて捏造しなければならない。笑子は思いつきで、
「今度、四日市の大学に通うことになったんです。だから」
「へー、大学かー。いいなー…」
「あなたは何故、ここに?」さわ子はどういう答えが返ってくるか楽しみだった。笑子も身を乗り出して耳を傾けた。
「あ…、俺は…」彼女達には既に《方向音痴》という弱点を見せてしまった。その他、隠して守るべきモノは何もなかった。「家出…した」
「家出?じゃあさっき、自分のこと、言ったんだ」さわ子は納得すると同時に、家出して黒岩キュンの家に転がり込んだの?と思った。
「両親と喧嘩でもしたんですか?」
「いや、別に…。第二の人生、かなー…」
「第二の人生?」さわ子と笑子がハモった。
「この若さで、ハハハハ…。やり直したくてね」
「それ…すごく判る!」さわ子の表情が引き締まった。「私…それ判る。私も…第二の人生だわ」
「え?大学が?」大成にはさわ子がいまいちよく判らなかった。
「あ、あ…そ、そう、そうよ。大学入って…、新しい自分?見付けたい…」
「さわ子…」さわ子が名古屋インパクトセブンを好きになり、黒岩隆の追っかけをする経緯を知っている笑子には、さわ子の言っていることがよく判った。
「私、帯広さわ子。あだ名は《さわパク》」
「さわパク?」大成にはさわ子がいまいちよく判らなかった。
「そう。さわ子のインパクトで、さわパク。あ…」しまった!と思った時はもう遅かった。
「インパクト?」大成にはさわ子がいまいちよく判らなかった。
「あ、あー、…ほらほらほら!…さわ子って、イ…インパクトあるでしょ?」
「は?」大成には笑子もいまいちよく判らなかった。
「ほら、何て言うのかなー…こう、一度見たら忘れられない顔!みたいな…」
大成は《インパクト》ってどっかで聞いたことあるなーと思いつつ、取り敢えず納得したゾ!という態度をとらないといけないんだよなーと思った。それはさわ子自身も望んでいることだと判断して、「あ、あー判る判る!そう、そうだよねー!インパクトあるよ!凄い!うん…一度見たら絶対忘れない顔だよねー!」
「そうでしょ?あわわわわ!」
「どういう意味よ!」さわ子は激怒した。「笑子!あんたがいけないのよ!」
笑子は、ナイスフォローだったのにぃ…と思いつつ、さわ子の餌食となった。大成には、やはりさわ子が判らなかった。
その後も何だかんだと話は盛り上がった。三人は偶然にも同い年ということもあり、仲良くなってしまった。間接的とはいえ、黒岩隆が引き寄せた三人…しかしそれを大成は知らない。大成も二人に、隆の家でお世話になっている(している?)ことを話していない。大成はさわ子と笑子のことを《パクちゃん》《あわちゃん》、笑子は大成を《芽室さん》、さわ子は《芽室くん》と呼ぶようになった。さわ子は《くん》と《キュン》を見事に使い分けている。
「ね、また今度、この喫茶店で会おうよ!」大成の口から自然と、こんな言葉が出た。
「うんうん!いいねー!会おう会おう!」笑子が乗った。
「…来れるかな?」さわ子のこの一言で、三人は一気に憂鬱になった。
来週の今日この時間、再びこの喫茶店で三人は会うことになった。隆からもらったお金で清算する際、大成は小声で「ごちそうさまでした…あのー…コンビニに行きたいんですけど…地図、描いてもらえます?」
「コンビニ…《ハリミーマート》ですか?」
「そう、そうです!お酒の買える…」
「あー、朱鞠内さんの…酒屋だったところだね」
懇切丁寧な説明を受けた大成であったが、まだ少し不安だった。三人は喫茶店を出た。
「えーっと…ここがこの喫茶店だから…まず、左だな。…これから、どうするの?」大成が二人に聞いた。
「うん…どうしよう…不動産屋行くか、それともコンビニ行って住宅情報買おうかー」笑子がさわ子に尋ねた。「さ、さわ子…?」
「く…苦しい…」さわ子は胸を押さえて座り込んだ。
「ま、まさか…発作?」
「発作?…心臓か?おい、大丈夫かよ?…病院!…救急車!救急車!」大成は今さっきまでいた喫茶店に飛び込んだ。
|