オグるまだん吉くん OGUmen-STORY  
閉ざされたノンフィクション
〜秘密の封印〜

知内星護

第15話 大好き

 銀河は結局、自動車の運転免許を取ることはできなかった。

 大成はバイトを終え、銀河と一緒にさわ子と笑子のマンションへ向かう。

「一箇月位だったけど…なんだか凄く懐かしい…」銀河はキョロキョロしながら歩く。

「そっか…免許、取れなかったんだ。Jリーグ始まるの、もうすぐだろ?始まったら…ますます時間なくなるな」

「そうなんです。僕…オリンピック代表候補だし…。そっちにも呼ばれたりしたら、絶望的!」

「まぁ…しゃあないな」

 笑子がドアを開け、「はい、モンキー」大成に手渡した。

「モンキー?…犬でしょ?」銀河は首を傾げた。

 笑子は指差して「あ、もしかして…新人の、楓…銀河さん?」

「そうだよ。さすがはインパクトの追っかけ!」大成は笑子をたたえた。

「さ、さ、さわ子ぉ〜!ねぇ…楓銀河くんが来てるよぉ〜!サインもらおうよぉ〜!」

 さわ子がゆっくりと現れ、銀河を見て軽く会釈をした。「私は…いい。要らない」そう言って姿を消した。

 笑子は動揺しつつも、銀河に色紙とサインペンを差し出した。「あ、あのぉ…お願いできますか?」

「は、はい…。こういうの、初めてだぁ…」銀河は喜びを隠せなかった。

 笑子は大成と銀河が帰ってから、さわ子に「ちょっと…失礼じゃない?本人の目の前でああいう言い方…」

「私は黒岩キュン一筋なの!好きでもないのにサインもらう方が失礼よ!」

 笑子は頬を膨らませてモゴモゴともらした。「…タツローとか富良野瑛美とかには書いてもらったくせに、偉そうなこと言って…」

「何か言った?」

「別にぃ…」笑子は銀河のサイン色紙を抱きしめた。

 銀河の素朴な質問。「それって…犬、ですよね?」

「いや、モンキーだよ」

「…?」

「名前がね」

「…誰のセンスですか?」

「俺」

「……」銀河は白い目で大成を見た。

 それを無視して大成は話を続ける。「隆がさ、拾ったんだよ。リョクチで」

「リョクチ?」

「…すぐそこの砂浜に捨てられてたんだよ」

「…何か、僕のいない間に色んなこと、あったんですね…。暫く、話についていけないんだろうな…」

「大丈夫だよ!…ったく、要らん心配するな!…これからずっと一緒だろ!」

「…芽室さんには、好きな人いるんですか?」

「!」大成の目と口がガッと開く。

「…女ですか?…男ですか?」

「…お前なぁ…、そういう質問って、ありか?」

「僕は、まだ芽室さん程黒岩さんとは判り合えていないかもしれないけど…きっと、必ず!芽室さんを超えてみせます!」

「はいはいはいはい…どうぞどうぞ、頑張って」

「ホントにそう思ってます?」

「思ってる思ってる…」

「…で、誰が好きなんですか?」

「!」

 銀河は再び己の愛する人について語り始めた。「これから…黒岩さんとずっと一緒にいられるかと思うと…嬉しくて嬉しくて!あ…勿論、芽室さんもね」

「…気、遣わなくて結構!」

「ア・イ・シ・テ・ル!」

「オ・コ・ト・ワ・リ!」

 二人は笑った。

「でもさ、銀河…四月からって言ってただろ?こっちで暮らすの」

「そのつもりだったんですけど…。開幕は三日後だし…これでも遅い位ですよ。やることいっぱいあったし、引越しの準備やなんかで手間取って…」

「隆には連絡してあるのか?俺は知らなかったぞ」

「…それが、まだなんです…」猫背になった銀河。

「電話、してみよっか?」

「え?…」

「携帯だよ、携帯!」

 銀河の心臓がバクバク音を立てた。顔が赤く染まるのが大成にもはっきりと判った。

「おいおい…落ち着け落ち着け」大成は家の中までずっと銀河をなだめ続けた。

 銀河は大きく深呼吸をして、オンフックでダイヤルボタンを押し始めた。呼び出し音は銀河の脈を更に早めた。

「もしもし…」スピーカーから隆の声が聞こえる。

 銀河はアタフタして大成の服を掴んだ。

「おい、電話つながってるんだぞ!」大成が叫ぶ。

「もしもーし!」隆の催促が部屋に響く。

「ほら、早くしろよ!切れちゃうぞ!」大成は受話器を取り上げた。

 銀河はそっと耳に当てる。「も…もし…もし…」

「ん?…誰や?」

「免許、取れませんでした…」

「はぁ?…」

「でも、無事に卒業できました」

「そつ…ぎょう?」

「今日から、宜しくお願い致します」

「……」隆は考えて黙り込んだ。

「僕の声…判りませんか?」

「…判らん!」

 銀河はがっくりと肩を落とし、大成に受話器を手渡した。

「もしもし?」

「あ、大ちゃん。今の誰?…いたずらかと思った」

「おいおい…あまりにも可哀相だぞ、それは…」

「ん?…あ!もしかして…」

 大成は塞ぎ込んでいる銀河に受話器を押し付けた。

「銀河!銀河やな!おー久し振り!元気かぁ?」

「…は、はい…」未だショックのダメージ回復せず。

「何や?今日から…住むんか?こっちで」

「はい…そうです。お願いします」

「そっかー…楽しくなりそうやな」

「そう…そうですか?ホントにそう思いますか?」

「うん!…そうや!大ちゃんに、《豪華な食事》頼んどいて!」

「ごっ…ごおかな…おしょくじ?」

 大成は笑いながら大声で《やだー!》と叫んだ。

「ハハハ…嫌がっとる。大丈夫、今日は腹ペコペコに空かしておくからって、伝えておいて!」

「ハイ!…それじゃあ…」ペコペコお辞儀をしながら銀河は電話を切った。

 二十四時間営業のハリミーマート青子朱鞠内店。夜、梅と亀はまだ事務所に残って雑談。勤務は既に終えている。

「今日はほんの少しまともになってたと思わない?」梅は氷を浮かべたレモンティーを口にした。

「うん…でも、まだまだでしょ。モノになるまでには時間かかりそう…」亀は煙草の煙を横向いて吹かした。

「また、明日も早く来るのかな?」

「どうします?…棚とか窓とか床とか、徹底的に掃除でもやらせましょうか?」亀は火を消して、新商品のチョコパンをかじり始めた。

「あ…」梅がビデオカメラのモニターを見上げた。「黒岩だ!」

「また、ツケかな…」

「この前娘にサイン書いてもらったし…ちょっと、挨拶してこようかしら」梅はバッグからブラシを取り出し、鏡を覗いてヘアを整えた。

「わ、私も…」亀はトイレに入り、試供品の香水を体に付けた。

 隆は店長に、「大ちゃん…どうですか?」

「うん…よく働いてくれてるみたいだけど」

「そう…ですか…」隆は大成が弱音を吐いたことを店長には言わなかった。

「えっと…開幕、明々後日だね」

「はい…」隆は口を開けたまま白い歯をムキ出しにしてガーッと笑った。

「楽しみだねぇ…対戦相手は…?」

「ナットーズです」

「ああ…水戸か」

 梅が徐に姿を現した。普段より1オクターブ高い、裏声がかった「こんばんはぁ…」

「あ、今晩は」隆は頭を下げた。

「もうすぐですね、試合」梅の頬が少し赤い。

「はい」

「この前はサイン、どうもありがとうございました。観には行けないんですけど、娘とテレビで応援しますから、頑張って下さい」

「はい…ありがとうございます」

 続いて亀の登場。「今晩は…」

「あ、どうも」

「もうすぐ始まりますね、試合」

「おんなじこと言ってんじゃねーよ!」梅は亀にどついた。

「あ、あのー…ナットーですよね、相手」

「は、はぁ…」

「水戸は…粘っこいですからね…頑張って下さい!」

 再び梅のどつき。「くだらねーこと言ってんじゃねーよ!」

 隆は笑った。梅と亀にとって、隆の他愛のない一瞬の笑顔が、この店における《お楽しみ》のひとつである。

「この二人が、大成くんに仕事を教えているんだ」店長が隆に言った。

 《え…?》梅と亀は店長の一言が理解できず、顔を見合わせた。

「あ、そうなんですかぁ…。大ちゃんのこと、宜しくお願いします!」隆は梅と亀に頭を下げた。

「あ…え…?」梅は言葉に詰まった。

 店長が付け加える。「隆ちゃんがね、大成くんがここで働くことを提案したんだ」

「…お知り合い、なんですか?芽室くんと…」亀は隆に聞いた。

「…っていうか、一緒に住んでいますから。これから帰って、大ちゃんの作った《豪華な食事》を食べるんです」

「え!?」梅まんまる目。

「うそ…」亀まんまる目。

「大ちゃん、やる気になってますから…ビシビシとシゴいてやって下さい!」

 二人は《ハハハ…》と愛想笑いをした。暫くショックから立ち直ることができなかった。

 隆は大きな声で、「ただいまー…あっ…」玄関に漂うのは…もうお馴染みの《カレー》の匂い…。「ま、またや…《豪華なカレー》や…」小声で独り言。

 銀河が来た。「お…おかえりなさい!」銀河は隆の顔をまともに見ることができなかった。

「おー、久し振りやな!銀河…元気やったか?」

 隆の手のひらの温度が銀河の背中に伝わった。体がビクッと反応してから、最も敏感でデリケートな男性のパーツが硬直していくのをヂンヂンと感じていた。「は…はい…」

「おい…銀河…、顔、真っ赤。…そんなに辛いのか?」

「え…?」

「もう…食ったんやろ?」

「な、何で…。い、い、嫌ですよ!…黒岩さん帰ってくるの、待ってたんですよ!」

「…ふーん…。そっか」

「一緒に…食べたかったから。芽室さんのカレーライス…。黒岩さんと…」

 隆は銀河がうつむいているのを見ずに「判った判った。待たせてゴメンな」

 銀河は愛しき人の背中を見つめて「そういうんじゃないのにぃ…」

「それでは…楓銀河くんが帰ってきたことを祝って…超!豪華なお食事、《ステーキカレー》を、いただきます!」大成が声を掛けた。

「いただきまーす!」銀河の大きい声が居間に響く。

「い…いただき…ます」ゆっくりと隆はスプーンを手に取った。

「おいしーい!芽室さん!…これ、美味しい!」

「そーかそーか…銀河、ありがとう!」

「うん…大ちゃん!この《肉》、柔らかくて美味い!」

「芽室さん!ホントに…この《カレー》、とっても美味しい!」

 大成は一瞬隆をジロリと睨んでから、「そーかそーか…《カレー》が美味しいか、銀河…」

「はい!…お肉も美味しいけど、やっぱりカレーですね!」

 隆は誉める対象を間違えた、と後悔。「ほら、さ…うん。大ちゃんのカレーはさ、うん…美味しいのはもう、当たり前やん!だから…ステーキ?めっちゃ合うね、カレーにさ…。いつも食べてるからさ…」

「いつも食ってるから飽き飽きしてて、ステーキ肉がめっちゃ美味く感じるっつーんだな」

「ちちち…違う!…」隆は立ち上がった。

「芽室さん!おかわりしていいですかぁ?」

 大成はニッコリと微笑んで「どうぞどうぞ、いっくらでも食べて!」

 隆の食事のスピードが落ちる。

「嬉しいなぁ…こんなに美味しいカレー、これから毎日食べれるんだぁ…」

 大成は上機嫌。「ハハハ…そうかそうか、うんうん、じゃあ…どんどん作るからな!あ…」

「…どうしたんですか?」銀河はルーのおたまの手を止めて大成を見た。

「一流のサッカー選手になりたいんなら、俺のカレーは食わない方がいいぞ」

「え?…どうしてですか?」

「うん…あるプロスポーツ選手がそう言ってた。六大栄養素が大事なんだって」

 あるプロスポーツ選手(=隆)は更に落ち込む。

「それは違います!」銀河は否定した。

「ん?」

「一流になれないのを、カレーのせいにするなんて…おかしいですよ!…だったら、僕が!なってみせます!芽室さんのカレーライスで、一流に!」隆を見つめて、「黒岩さんと一緒に!!」

 大成は楽しくて面白くて仕方なかった。「…だってさ、隆。君の後輩は、頼もしいねぇ…」

「でも…誰なんですか?そんなこと言うの。責任転嫁ですよ」

「僕…」小声で隆が打ち明けた。

「…へ?」銀河は再び顔を真っ赤にした。「あっ…でっ…でも、一理ありますよね…六大栄養素…」銀河はうつむいたまま小声で言った。

「…遅いんだよ」モグモグと噛みながら、隆がつぶやく。

 銀河の食事のスピードが落ちる。

 大成は声を殺しつつ、腹を抱えて笑った。

 大成は歯磨きを終えて自分の部屋に戻り、床に就こうとしていた。ゆっくりとドアが開いて、隆の顔が見えた。「大…ちゃん…」

「ん?どした…?」

「ちょっと…いい?」

「ああ…いいけど」

 隆はニコッと笑って、大成のベッドの上に座った。「今日の…カレー、ホンマに…美味しかったから…」

「お前…もしかして、気にしてるのか?」

「…そやけど、やっぱ…カレーばっかりじゃ…」

「判ってるよ、んなこと」

「…え?」

「今日は、銀河がどうしても俺のカレーが食いたいって言うから…隆は飽きてるとは思ったけど…ステーキで《豪華》にアレンジして、ステーキカレーにしたんだ。…作ったことなかったけど、まあ…」

「そう…なんだ」

「隆…」

「ん?」

「もっとさぁ…威張っていいんだぞ!」

「…威張る?」

「俺は…何のためにここにいるんだ?…お前のためだろ!」

「…大ちゃん…」

「確かに俺は俺で、ここにいるのには訳がある。でも…俺より、お前だろ?…違うか?」

 隆はじっと大成を見つめた。

「お前が一流選手になる、きっかけになりたい。ささやかでも…でなきゃ、意味ない…。俺はいつまでたっても、ハンパ者だ…」

「大ちゃん!僕は…大ちゃんのこと、傷つけたんやあらへんかって…」

「いくらでも傷つけろよ!…それで隆が一流になれるなら…いくらでも傷ついてやるよ!」

「…僕は…、大ちゃんのこと、大好きやから…大切にしたいんや。もう…大切な人、失いたくないから…」

 大成は口をキュッと塞いだ。枕を手に取り、隆に投げた。「時間、かかりそうだな。こんなんじゃ…」

「…え?」

「まだまだ…」タツローさんにはかなわない…。隆とは、本当の意味での《友》にはなっていない…。

「どういうことや?」隆には判らなかった。

「隆が一流選手になった時に、その答えは出る…」

 隆は首を二・三回傾げて、「とにかく、僕が…もっとサッカー上手くなればええんやね!」

「…そーゆーこと!…銀河と一緒にな!」

 …側耳を立てていた銀河はホッとした。「芽室さん…僕のこと、忘れていなかったんだ…」だが、大成が以前にもまして隆とより深い《関係》になっていることが羨ましくもあり、悔しくもあった。

「芽室さんも…黒岩さんのこと、大好きなんだよな…きっと。いいなー…相思相愛で」銀河は言葉の選択を誤っていることに気付いていない。

「僕も…言われたい…《大好き!》って…黒岩さーん!」ドア越しながら、銀河は隆との距離の遠さを実感していた。

 翌日、大成のコンビニ・アルバイト三日目。「おはようございまーす!」三日間中最も大きい声で梅と亀に挨拶した。

「今日は…何をすればいいですか?…あ、そうそう…缶詰のところの棚、汚れているので掃除します!」

「芽室くーん…いいのよいいのよぉ…」亀の声は気持ち悪い位に優しかった。

「…へ?」

「そうねー…今日は、レジと揚げ物だけでいいわ。昼は結構よく売れるから…特にポテトは切らさないようにしてね」梅の口調も命令的ではない。

「…は、はい…判りました」拍子抜け・肩透かし…。大成は気が抜けて少しフラついた。

 梅と亀が変わったのは、当然、隆が原因である。大成が隆の知り合いでなければ、一種の《いびり》は今も続いていたはず。…大成はそのことを知らない。知らなくていい…。

【つづく】


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