OGU面冠者 -Expert
1998.8.31 名古屋グランパスエイト 小倉隆史選手 応援HOMEPAGE 冠者106

GOAL!!!

「とにかくスペースへの飛び出しを考えた」(日刊)
後半35分、右サイド混戦を平塚クリアミス「一瞬下がろうとしたが、パッと見たらピクシーが球を持っていた」ペナルティーエリア付近で球を受け、左足で決めた。(報知)
「来ると思った」中央のストイコビッチからパスを受け、左サイドから切り返して左足でシュート。(デイリー)
「ピクシーが振り返ったので、“来るな”と分かった」(スポニチ)
「絶対外せない場面で緊張した」(日刊)
658日ぶりのゴールは「ちょっとダフった」苦笑いの一発。(報知)
ワントラップを挟んで振り抜いた左足は「会心の当たり?いや、ダフっていました。それよりホームで決められたのが良かった」(スポニチ)
「決めて当然のゴールだったけど、やっぱりうれしかった。チームメイトや、ホームのサポーターに喜んでもらえて本当に良かった」(東京中日)
「決めた瞬間は鳥肌が立った。チームメイトは勿論、沢山の人が運んでくれたゴール。感謝してるし、嬉しい」(日刊)

「みんなの励ましで戻って来ることができた」(東京中日)
オランダでドライブしながら何度考えたことか。「オレは本当にサッカーができるようになるんだろうか?」(報知)
「プロだし、リハビリするのは当たり前だった。苦しかった時期も忘れた。振り返れば長かったが、1点取らなければ2点目はないし、これで終わりじゃない」(デイリー)
「うれしいけど、僕のサッカー人生はこれで終わりじゃない」(東京中日)
「振り返れば長かったけど、僕にはまだ次がある。ここで満足はしていられない。90分やってこそ復帰だと思ってる」(日刊)
「そんなに焦る必要はないけど、僕はスタメンで出てナンボ。これからボチボチ上げていきます」(スポニチ)
「スタメンに出て初めて満足いくプレーができると思います」(報知)

「ゴールの場面以外は全然ダメ。まだまだ課題は多い」(東京中日)
「今日は蒸し暑くて動きにくかった。試合勘?どうなんでしょう。まだ(動きが)ワンテンポ遅れる時があるし…」(スポニチ)
「これで終わりなら涙も出るだろうけど、このゴールが始まり。僕のサッカー人生は続きますから」(スポニチ)
「(背番号)19に特に意味はない。でも、これから19がトレードマークになるような、新しい歴史をつくっていきたい」(東京中日)

「W杯のことはあまり話したくないです」(報知)
「(W杯)僕の口からは、みんなよく頑張ったなとしか言えない」(スポニチ)
平野孝「(OGUは)もう既に2002年のことを考えているはず」(報知)

1998年8月29日 Jリーグ2nd Stage #02
in 瑞穂陸上競技場 (19時Kick off)

主審:アルフレド・ロダス
名古屋グランパスエイト ○ 2 vs 0 ● ベルマーレ平塚
8分:福田健二
80分:小倉隆史

名古屋 試合速報(ごんちゃん) TotocalciOGU Totocalcio-J
スタメン・交代・警告等 → トップ星取表

 皆さん、こんにちは!「もしかしたら雨男」知内星護です。(観戦通算11試合中4試合雨天。最近5試合中3試合雨天。)

 3年振りの瑞穂観戦。
 3年前と同じように、GOAL決めてくれました。決めるのが“当然”であるかの如く、あっけなく、かつ、確実に...
 私が瑞穂に行くと、小倉は必ずGOAL決めてくれます(今のところ)。瑞穂でしかOGUゴール見たことないんです。今回で瑞穂2回目ですけどね...

 以下、私の駄文を掲載させていただきます。


 1998年8月22日、小倉ベンチ入りの情報を聞きつけ、私は地元・武蔵新城の西友に行って、翌週ホーム瑞穂のSS席チケットをGET。帰ってきて公式ページを開くと、「70分 小倉IN 野口OUT」と掲載されていた。
 私は「このチケットで小倉が見られる!」と確信した。

 8月28日朝6時。JR南武線 武蔵新城駅にて、岐阜羽島までの新幹線自由席の片道切符を購入。東急東横線で菊名へ。キヨスクで笑顔の小倉が表紙のサッカーマガジンを見かける。

 しかし、電車が来ない。ちょうど台風が雨を降らせている真っ最中。
 新横浜でダッシュするも、ホームの階段を駆け上り終えた直後に、ひかり号の扉は閉まる音「ぷしゅー」。

 が、しかし、いつまでたっても、ひかりは動かない。
 新幹線をも止めてしまうほどの大雨らしい。

「発車しないなら、ドア開けてくれー!」と心で念じてみたりする。その想いが通じたのか、私は無事に(?)座れるはずのなかった禁煙車自由席に腰を下ろし、間髪入れずにVAIOを開き、携帯電話でネットにつなげて愚痴った。

   >とまってまーす しんかんせん
   >新横浜でとまってるのー
   >新富士まで大雨でストップしてるんだってー
   >たすけてー

 そんなこんなで、名古屋に着いたのは、1時間20分遅れ。午前10時ちょっと前だった。
 どうせなら2時間遅れてもらって、特急料金払い戻されて欲しかった。かな?
 取り敢えず立ち食いで「天玉きしめん」を頬張る。やはり遅れているこだま号の到着を気にしながらの、ちょっと遅めの朝食だったため、味わっている余裕はなかった。記憶に残ったのは、上質なかつおぶしの風味と、汁を吸いまくった天ぷら...。

 岐阜羽島に到着。雨は止んでいた。
 この日は「名鉄ローカル気分満喫の旅」。新羽島−笠松−新岐阜。
 新岐阜で路面電車撮影して、新関へ。新関−美濃は今年中に廃止になるとのことで、美濃で入場券なんか買ったりするところがやはり神奈川大学元鉄道研究部魂(但し3年の時途中退部)。

 美濃から美濃市駅まで歩き、長良川鉄道に乗って美濃太田へ。気がつくと、超豪雨。
 JRに乗り換え、鵜沼へ移動。名鉄の新鵜沼までの連絡通路が「雨避け100%」な造りで救われた。

 本当は、犬山橋(一般の道路に、チンチン電車ではない、一般の電車が走っている)を歩きたかった...。けど、明らかに止みそうにない大降りだったため、断念。
 近日中にもう一度ここに来て、鉄道と車が「棲み分け」られてしまう(工事最中だったみたい)前に、1枚写真を撮っておきたいなぁ、と。

 そのまま名古屋入りして、チサンホテルにチェックイン。FSココイチへ。チーズカレー大盛食べるも「辛さ」が選べず(10辛まで食べたことあるヒト)やや物足りなくて、近くの吉野家の並食って“お口直し”。夜8時〜翌朝6時まで熟睡モード。

 8月29日。3年前と同じように、朝、小倉の故郷・白子へ。アーバンライナー10周年記念+銀河鉄道999のパールカードを買ってから、それで切符を購入。

 3年前と違うのは、白子駅前のFamilyMartに酒類が陳列されていたこと、季節柄蒸し暑かったこと、台風で曇っていること、釣りを楽しんでいるヒトが結構いたこと、犬に鳴かれなかったこと、潮の音を聴きながら白子港緑地でモバイル通信したこと、くらいかな。(←かなり違ってるって?)
 方向音痴の割には、ほぼ同じ道程を辿ることができて、満足。

 昼、特急に乗って再び名古屋。お友達のT.T.さんと一緒に、「矢場とん」へ。悲願達成!?(OGU! GRA! DRA!で矢場とんの話題が出てから、ずーっと行きたいと思っていた憧れの店)わらじとんかつに満足。今度はヒレカツにしよーっと。

 名古屋港へ移動。クラブグランパスにて、タオルと眼鏡拭き購入。

 新瑞橋から歩いて、瑞穂陸上競技場。インターネットを始めてから、初めての瑞穂。やっとホームで、地元のお友達に会うことができた。

 「雨の境目」初体験。電光掲示板の下でお友達と「雨降りそうですねー」って話していたら、やすさんが「もう降ってるよ、ほら!」とアウェーの方を指差した。その5秒後には、我々も濡れていた...。

 私はひとり、バックスタンド・アウェー寄りのSS席へ移動。仕方なくレインコートを購入し、試合開始をじっと待つ。

 小倉隆史は、この日もベンチ入り。出場の可能性は当然ある。しかし「雨の日にケガ人は出さない」というのが鉄則らしい(私の座っていた周辺の声より)。

 しかし、だ。小倉は、「復帰し立て」であっても、既にケガ人では、ない!
 完治しているからこそ、ピッチに立っているのだ。
 実戦で実践しながら、ケガする前以上の状態に持っていくべく、努力している真っ最中なのだ。

 今日もし出場して、ホーム復帰第1戦で、1発GOALお見舞いしてくれようものなら、もう誰も彼をケガ人扱いしないだろう...なーんて思ったりもした...矢先...

 ちょうど雨が完全に止んだ。私は「よっしゃ!つなげよう」と徐にVAIOを取り出し、そのバッテリーをSからLに取り替え、携帯電話とケーブルでつないだ。

 数分後、小倉がピッチに現われる。それだけで最早大歓声が。

 同志は懸命に、前線(というか、彼)にボールを集めようとしているように見えた。

 VAIOがなければ、私は小倉1点に目線を集中していたのかもしれない。観戦とキー入力を一緒にやるのは、想像以上に大変な作業であった。
 それでも私がVAIOを閉じなかったのは、私のつたない中継でも「必要としてくれている人達」がいるということを実感できたから、である。
 例え1行ずつでも、私がソクホーダイに投稿することによって、喜んで下さる人達が、確実にいる...。

 ふと見上げると、ゴール前で小倉はボールを持っていた。

 こ、こ、これは...もしかしたら...まさか!い、いや...まさかではない!
 これを決めれば、今日のヒーローは、お前だ!

 小倉が途中出場する前までには、「思いつき」で放ったような、「入ったらめっけもん」的シュートが、何本かあった。

 あのシュートに限っては、私の眼には、至極落ち着いて、というか、ゆっくり見極めてから一蹴したように映った。
 時間をも止めたかの如く、精密かつ緻密な「計算」をじっくりした上での“熟成シュート”...

 そのプレーは、「これを外すなんて、あり得ない」という位に、“決めて当然”的GOALに変わった。
 FAN総立ちの最高級の歓声が、全身を使って喜ぶ小倉隆史を祝福した。

 私自身は、感動なんてものを通り越してしまったのか、声すらも出すことができず、そのまま暫くぼー...っと、しかしながらそれは確実に私の喜びの表現形態であった。

 ネットの向こう側へも、この待ちに待たれた「ひとつの真実」を即刻伝えた。
 歓喜を共有することで、大勢の人達がひとつになれた。

 自分ひとりが楽しめればいいと、私は今でも思っている。
 副次的に他の誰かと一緒に楽しむことができて、それによって自分がより楽しめればいいのではないか?...そう、いつでも主役は自分自身であり、自己中心的なのである。

 『OGU面冠者』の“裏の目的”も、最初の頃は「単純に私が目立ちたいだけ」だったような気がする。でも今現在は「100%そうではない」と言い切る自信がある。裏方に徹し、できれば“目立つことなく”皆さんと一緒に楽しみながら喜んでいきたい...。

 自己満足を悠々と超越した“歴史的瞬間”を目の当たりに目撃した。W杯では何故かいまいち盛り上がれなかった理由を再認識したような、そんな気がした。


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